【コラム】言葉、人格、国格=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.21 15:52
「ハングルの優秀性を広く知らせなければいけないようだ」。ハングルの日の頃になるとよく聞く言葉だ。ハングルの優秀性は広く知らせるのが当然のことであり、「知らせなければいけないよう」ではない。「日本のような場合、独島(ドクト、日本名・竹島)を自国の領土だと主張するが、歴史的な根拠がない詭弁であるのは明らかなようだ」。ニュースキャスターの発言だ。韓日関係で「日本のような場合」はない。韓国の場合、日本の場合があるだけだ。詭弁であるのが明らかなら「…のようだ」と話してはいけない。「詭弁だ」と言い切るのが正しい表現だ。
よいようだ(よい)、おいしいようだ(おいしい)…。「カッタ(ようだ)」という言葉が手の施しようもなくあふれる半面、その相対語の「タルダ(違う)」は使うべきところでもあまり使われない。「人はみんなトゥルリダ(合わない)」。間違った言葉だ。「人はみんなタルダ(違う)」と言わなければいけない。タルダはトゥルリダとは違う。「同じ・違う」は、認識の基本範疇の一つである同一性の判断に使う言葉だ。これが誤れば認識体系に混乱が起こりうる。