8年ぶりに世界19位製薬会社に…日本の第一三共、処方は“M&A”(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.05.03 11:25
日本政府は2000年、薬剤費を全体医療費の30%から20%以内に引き下げる政策を電撃的に出した。
長期不況のせいで財政がすっかりなくなる危機を少しでも先送りするための苦肉の策だった。日本の製薬業界は災難となった。温室の中で虎の威を借る狐だった大多数の製薬会社の売り上げは一斉に下落し、特に新薬開発より営業に重点を置いた中小製薬会社は一つ、二つ倒れた。
以後、日本の製薬会社は命がけで生存策を探した。その中で最も代表的な解決方法は製薬会社どうし互いに身を寄せ合うことだった。2005年第一製薬と三共が合併して新しい出発をした第一三共は最も成功的な事例だ。