【コラム】「金正恩指導者」はなぜ国際社会に逆行するのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.02.13 18:00
#1.1985年8月27日の平壌(ピョンヤン)南北赤十字会談でのことだ。 北側が「学生舞踊体操」を見せたいというため、南側代表団が行事場所の牡丹峰(モランボン)競技場に入場した。 しかし目の前の光景は、人民軍の服装をした数千人の学生の銃剣術競演だった。 南側が「合意違反」と抗議したが、北側はむしろ「学生の誠意を無視して退場したことに謝罪しろ」と主張した。
#2.1990年10月18日0時ごろ、平壌百花園招待所内にある南側代表団の宿舎。 当時の姜英勳(カン・ヨンフン)総理をはじめとする南北高官級会談の南側代表団は深く悩んでいた。 北側が事前合意を破り、南側代表団のうち離散家族の姜総理ら3人の北側家族を隣室に連れてきたからだ。 もし韓国代表団が家族に会えば、「数多くの離散家族のうち代表団だけが会った」という批判が南側内部で出てくることを狙ったのだ。 会わなければ「南側は言葉だけで人道主義を云々する。宿舎まで訪ねてきた家族にも会わなかった」と逆宣伝をする企みだった。 結局、南側代表団は「保安を守って会え」というソウルの指示に従ったが、北朝鮮はこれまでも数日後に訪韓した北側関係者を通じて南側メディアに流し、混乱を誘導した。