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【時視各角】日帝強制占領時代の「大権」の使用を禁止すべき(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.11.21 09:49
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小説家の仇甫氏(注)が2012年11月、ソウル鍾路を歩いている。喫茶店、いやコーヒーショップに入った彼は、キオスクで買った新聞を読みながら眉をひそめた。「おかしな言葉だ」。彼はコートのポケットからスマートフォンを取り出してインターネットを見ている。「どうしてこんな…」。

仇甫氏の目を引いたのは「大権」という2文字だった。大権走者、大権候補、大権動向、大権構図、大権レース。仇甫氏は席を立って書店で法典を調べた。1987年に作られたという憲法のどこにも大権はない。仇甫氏は新聞社に電話をかけた。

「仇甫です。日本帝国主義で使った大権という言葉がまだ使われるとは…どういうことか」。

1930年代の小説の主人公、仇甫氏の言葉のように、日帝強制占領期間、大権は日本の国王を意味した。

1889年に制定された明治憲法の前文に「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて」という部分がある。当時の新聞記事を見れば大権の意味は明確になる。

「天皇陛下勅語。万世一系の皇位を継承し、帝国統治の大権を総攬…。」(1926年12月)、「臣民の権利義務に対する憲法の保障が大権の施行を妨げることなし…。」(1938年1月)。

1945年8月に米国に降伏する際も「天皇陛下の大権を侵害しないという了解」を前提条件に提示した日本は、その後、平和憲法から大権を削除した。問題の言葉には、主権が国民ではなく一人の統治者にあるという前近代的な論理があるからだ。日本でさえ捨てたこの言葉が21世紀の韓国に生きている理由は何か。仇甫氏はそれが気になったのだ。

仇甫氏の抗議電話を受けた後、私は中央日報の記事DB(1965年-)を検索した。大権という言葉が広く使われ始めたのは意外にも87年の大統領選挙以降だった。大統領の地位が角逐の対象となり、大権が最高の権力を表す言葉として定着したのだ。

大権は果たして言葉だけの問題だろうか。政界とマスコミ、さらに韓国社会の意識レベルを反映しているのではないだろうか。大統領になれば法の枠を越えて莫大な権力を振るえるものと考えられている。スーパーウルトラ甲のイメージだ。その後ろに検察権力、国税庁権力、公取委権力が従う。新聞社・放送局も言論権力として振るってきたのが実情だ。

注:朴泰遠による短編小説『小説家仇甫氏の一日』に出てくるインテリ風の若い小説家。
【時視各角】日帝強制占領時代の「大権」の使用を禁止すべき(2)


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