李舜臣が署名した作戦命令、写真はあるが実物は?
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.11.19 10:28
「敵の消息を聞けば極秘で報告するものの、口頭で伝えることは認めない。一時的な命令でも破った者は軍法にかける」。
宣祖31年(1598年)3月12日、忠武公李舜臣(イ・スンシン」は将帥にこういう命令を伝えた。1年前の9月、李舜臣は戦船13隻で倭軍133隻と戦い、31隻を撃破する「鳴梁大捷」を収めた。それでも倭軍は数的に優勢だった。忠武公としては徹底的な警戒を指示するしかなかった。命令は「甘結(指示公文)」で伝えられた。ユン・インス顕忠祠学芸研究家は「“忠武公甘結’は忠武公と総帥の安衛、李応彪らの署名がある唯一の文書」と評価した。
しかし現在、甘結の所在は不明だ。政府や忠武公の子孫である徳水李氏の宗家、顕忠祠ともに1945年の光復(解放)以降、行方を全く把握していない。文化財取り戻し運動を率先してきたへムン僧侶は15日、文化財庁に甘結の所在を確認してほしいと陳情した。