【コラム】北朝鮮の脅迫に無関心な韓国人、正常なのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.05.08 16:00
先日から主要メディアを警察が守り始めた。 北朝鮮を非難したメディアに対して報復するという脅迫があったからだ。 にもかかわらず警察が立っているところを無心に出入りする自分自身の姿を発見した。 「警察がなぜ立っていて、こういう状況で自分にできることは何か」という考えを当然してみるべきだが、ただ「こんなものだ」という感じで通過していた。 他の人たちも同じように見えた。 みんな無関心どころか無心だ。 北朝鮮は4月から激しい脅迫を続けている。 「ソウルを打撃する」「青瓦台(チョンワデ、大統領府)を打撃する」「政府機関、メディアを焦土化する特別行動に出る」「延坪島(ヨンピョンド)砲撃程度と考えているなら誤算だ」など脅迫を繰り返している。 しかしこうした脅迫を私たちは肌で感じていないようだ。 私たちみんながそれだけ大胆になったのだろうか。 私たちの関心とニュースはBSE(牛海綿状脳症)、政党の争い、大統領選挙候補の動きなどだ。 現実的に起こる可能性が高いのはBSEか、それとも北朝鮮の挑発か。
安保の心配など古くさいというように目も向けないような風潮が広まっている。 南北の対立状況が60年を超え、過去に政権維持の道具として安保を利用した面があったためなのかもしれない。 いや、もしかすると、私たちのDNAには「自分の国は自分で守るべき」という意識がわずかにしか残っていないのかもしれない。 朝鮮は建国後、中国を大国にとしてもてなして、国防を手放しにした。 尚武精神を持った三国時代、北方回復の夢を捨てなかった高麗とは全く違う文弱な国だった。 それで壬辰倭乱(文禄・慶長の役)、丙子胡乱を経験した。 戦争中でさえも党派争いをし、李舜臣(イ・スンシン)のような人物を監獄に入れた。 そのような朝鮮は結局、日本に支配された。 解放後も同じだ。 経済的にそのような能力がなかったのも理由だが、私たちは米国に国防を依存した。 だから私たちの胸中には、国を守ることは他の人がしてくれるという意識が根付いているのかもしれない。 国防では誰もが傍観者になり、井の中で自分の利益ばかり求めて争う体質に変わってしまったのではないだろうか。