成績最下位に手術下手な医師…ノーベル賞、落ちこぼれの反乱(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.10.10 08:45
山中所長も自身の研究者人生を「失敗ばかり重なり20年余りの間ずっと泣きたくなる挫折の連続」だったと自評した。神戸大学医学部を卒業して国立大阪病院の整形外科の研修医だった時は手術がうまくできず先輩たちから「ジャマナカ」と呼ばれた。実際に10分ほどで終わる簡単な良性腫瘍摘出手術に1時間を超えることが常だった。
結局整形外科医師になることをあきらめた彼は研究者に方向を定めた。重症リウマチ、脊髄損傷など特別な治療法がなくて悩む整形外科患者を見ながらいつも考えていたものでもあった。大阪市立大学大学院に進学し薬理学を学んだ彼は、93年に米サンフランシスコのグラッドストーン研究所に留学した。彼がiPS細胞研究にアイデアを得たのもこの時だった。だが、96年に日本に戻った山中に与えられた任務はマウスの世話だった。山中のニックネームもネズミの鳴き声から「ヤマチュー」に変わった。3年間同じ仕事をした山中は結局うつ状態になった。