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【コラム】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.09.22 17:55
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隣国の日本と比較すると、韓国文学が海外に紹介された歴史はあまりにもみすぼらしい。 文学評論家ユ・ジョンホ氏によると、近代ヨーロッパに韓国文学を最初に紹介した人は金玉均(キム・オッキュン)を暗殺した旧韓末の保守政客・洪鍾宇(ホン・ジョンウ、1854-1913)という。 韓国人初のフランス留学生だった洪鍾宇は1892年に「春香伝」を翻案し、『Printemps Parfume(芳しい春)』というタイトルで現地で出版した。

一方、日本は早くからヨーロッパ人の文学的想像力の中に意味のある存在として定着した。 1726年に出版された『ガリバー旅行記』はすでに日本の長崎に言及している。西洋の『イソップ寓話集』はそれより80年前の1639年に日本語に翻訳されて紹介された。

 
韓国文学の‘井の中の蛙’状況は20世紀に入っても続く。 詩人の李根培(イ・クンベ)氏の話だ。 1981年、李氏は国内の文人を率いて海外旅行へ行った。 タイを経てギリシャを訪問した時、あるギリシャの文人が李氏に尋ねた。 「あなたの国に固有の話はあるのか?、文字は?」。

満50歳を超えてこそ海外旅行ができた時代だ。 韓国人に会うこともないのに、その国に詩や小説があるのか、いくらソクラテスの後えいといっても知る由がなかった。

韓国文学を体系的に知らせようという努力が始まったのは60年代後半だ。 日本人作家の川端康成が68年にノーベル文学賞を受賞したのが大きい。 これに刺激されて、当初はユネスコ韓国委員会のような民間機構が先頭に立った。 96年には官民合同の韓国文学翻訳金庫がスタートし、01年には韓国文学翻訳院が事業を引き継いだ。 その間に翻訳院が得た成果は少なくない。 11年間に30言語、716件の国内著作物の翻訳を支援した。 このうち文学は392件で全体の半分を超える。 翻訳院の今年の予算は60億ウォン(約4億円)を上回る。


【コラム】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには(2)

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