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<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(8)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.09.22 17:22
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19歳の時、苦労して入った米UCバークレー大で経済学の勉強を始めた。 一方で発明に没頭した。 雑誌で偶然目にしたマイクロプロセッサーの写真と記事に完全に魅了されたからだ。 写真を切り取り、毎日携帯した。 寝る時は枕の下に入れたりもした。

「この小さなチップ一つが人類の未来を変えるはずだ。 私もコンピューターにかける」。

 
学費と生活費を稼がなければならないという現実的な理由もあった。 当時、家からは留学資金として、学費を含めて毎月平均20万円の仕送りを受けていた。 父が倒れた状況で、負担でないはずがなかった。 毎日5分という時間を発明に割くことにした。 5分。 見方によっては何でもない時間のようだ。 しかし歩きながら食事を済ませる時でさえ本を読むほど命をかけて勉強していた私にとっては、非常に貴重な時間だった。

一日一つずつ考案した後、その中で最も可能性が高いもので勝負をかけることにした。 1000万円ほどは稼げるのではないかと大胆な計画を立てた。 あちこちで笑われた。 「非現実的だ」「いっそのこと学校前のカフェでアルバイトをしろ」という声を聞いた。 私は揺れなかった。

「松下電器の創業者、松下幸之助氏も小さな発明をもとに会社を興した。 自分にもできないはずはない。 必ずできる」。

#工科大教授に「あなたを雇用する」

実際に毎日一つずつ何かを考え出し始めた。 効率性を高めるために3つの接近法を選んだ。 一つ目、周辺の問題を解決できる答えを見つける。 二つ目、大きなものを小さなものに、丸いものを四角いものに変えるというような変換を試みる。 三つ目、既存のものを新しく組み合わせてみる。 こうして100日、150日…。 ほとんどはつまらないものだったが、そのうちの一つ、使えそうなものがあった。 音声発信機と辞書、液晶画面を結合した製品。 多重語翻訳機だった。

私は経済学徒だ。 エンジニアリングの知識が足りない。 時間もない。 私はアイデアを綿密にまとめた後、工科大のフォレスト・モーザー教授を訪ねた。 彼は音声発信技術の権威者だった。

「先生、私を少し助けてください。 いいアイデアがありますが、お金も時間も技術も足りません。 私のためにチームを組んでこの製品を作ってください。 あなたを雇用します」。

モーザー教授は「おかしな奴だ」という表情で私を見た。 私はかまわず話し続けた。

「交渉のようなものは嫌なので、日当は先生が決めてください。 特許が売れればすぐに精算します。 もちろん製品の開発に失敗すれば先生の給料もありません。 無賃金になるということです。 この条件はどうですか」。

教授は笑い出した。 「とんでもない話だが、まあ一度やってみよう」と言った。 すぐに私のアイデアを現実化するためのチームが作られた。 チームのメンバーは私に毎日、「ヘイ!ボス、 今日は何をすればいいのか」と尋ねたりした。 私もできる限りの時間を割いて開発に集中した。 私が唯一関心を向けたのは「使用者の視点」だった。 私自身、英語の実力が不足していた。 辞書だけでは正確な英語の発音が分からなかった。 こうした問題点を発明と連結させたのがまさに翻訳機のアイデアだった。 それだけに「技術的にどれほど優れているか」ではなく、「どれほど便利か」に焦点を合わせた。 1977年に特許を取得し、翌年、試作品を完成した。 最も親しい友人のホン・ルー(中国名ホン・リャン・ルー)と「ユニソン・ワールド」というベンチャー企業も立ち上げた。 78年の夏、大学の休みを利用して日本へ行った。 特許を売るためだった。


【特集】<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」

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    2011.09.22 17:22
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    孫正義会長が中央日報連載を記念して揮毫した座右の銘「志高く」。
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