【コラム】原発は危険だから建てるべきではない?(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.03.29 11:58
きのうは米スリーマイル原子力発電所事故(1979年3月28日)が起きてちょうど32年になる日だった。その2日前、米原子力規制委員会(NRC)はスリーマイル事故以後初めて米国内に建てられる原子炉2基に対する環境影響評価を通過させた。
東日本大地震で大きな事故が起きた福島第一原発による後遺症は拡散の一途だ。放射能漏出は相変らず続いており、それによる余波は沈静化の兆しがみられない。原発周辺の土地も水も海も、そこで生産される食べ物も、すべてが警戒対象だ。いくら人体に影響がない水準だと強調しても接する人々の心はまったく違う。東京の水道水に対する乳児摂取制限措置が下された先週木曜日、私が立ち寄った東京都心の東銀座のコンビニエンスストアのミネラルウォーターはすでに品切れになって久しく、缶ビールさえ見かけるのは難しかった。見て感じられる余震に対する不安を探すのはむしろ難しかったが、数値だけで示される見えない放射性物質は表われていなくても誰もが持つ恐怖の根源だった。