三星電子、東芝の提携の話を断った理由は?(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.12.31 15:01
米国市場に進出するため、現地職員を含む全職員が90日間、毎週土曜日にも出勤したというエピソードもある。 米国携帯電話市場でシェアが落ちていた状況で出てきた劇薬処方だった。 週休2日制が日常の現地職員の反発も激しかった。 しかし当時の孫大一(ソン・デイル)法人長は「ついて来られない人はどうしようもない」と公言した。 毎週土曜日、全員が集まり、シェア回復戦略を話し合った。 力を合わせると販売量が伸びた。 03年は5500万台だったが、05年には1億200万台が売れた。 売上高も3倍ほどに増えた。
このほか、05年にNAND型フラッシュ市場が供給過剰に陥ると、MP3プレーヤーを製造したアップルを訪ねたという話もある。 当時「薄くて軽い製品を作るにはハードディスクの代わりにフラッシュメモリーを使用する必要がある」と説得し、結果的にヒット作「iPod nano」を誕生させた。