【時評】北朝鮮の「3代世襲」と韓国左派の分化(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.10.28 16:45
共産独裁者チャウシェスクは平壌(ピョンヤン)を訪問して受けた‘感動’を忘れられず、首都ブカレストを平壌のように改造して世襲を図った。 チャウシェスクが病気で衰弱すると、ルーマニアは事実上、夫人エレナと息子ニクによって統治された。 「国母」と称賛されたエレナは幼いころ学習遅進児で、小学校も卒業できなかった。 しかし「国母」になってから突然‘天才’になり、化学博士学位を受け、‘世界的な科学者’に変身した。 ルーマニアの科学者が書く多くの論文には、エレナが第1著者として強制的に明示された。
1989年12月、チャウシェスクは状況がどう動いているか全く把握していなかった。 怒った群衆がテラスにいるチャウシェスクに揶揄を飛ばすのを歓呼と錯覚し、手を振って応えた。 警護員に急いで部屋の中に連れて行かれたチャウシェスクとエレナは、ヘリコプターで逃げて身を守ったが、すぐに自分の側近に逮捕され、クリスマスの日、無残に処刑された。 銃殺刑はテレビで生中継された。 死刑になる直前、エレナは泣き叫んだ。 「私がこの国の国母だ。 お前たちはどうして国母にこんなことができるのか」。金正日(キム・ジョンイル)は平壌でこの場面を見ながら驚がくした。