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安重根義士の死刑命令書が見つかる(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.23 11:53
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 報勲処は「日帝が安義士収監後、警戒をこのように強化したのは、安義士の遺骸が私たちの同胞に奪われたり、故国に安置される場合、その墓地が抗日運動の拠点になると懸念したため」と分析した。金揚(キム・ヤン)報勲処長は「まだ安義士の遺骸埋葬地を探せていない。資料を保管する日本がよりいっそう誠意を持って姿勢を転換することを求める」と述べた。

◇見つかった追加資料=関東都督府の政況報告資料には、安義士を含む228人の独立活動家が記録されている。このうち89人は初めて確認された人物だ。証拠品の目録には、当時ロシアで発刊された漢字新聞「遠東報」1部と伊藤の暗殺を暗示した東清鉄道電車の発着時刻表、かばんなどが記録されている。

 
死刑の直後、安義士の弟らが日帝に遺体を返してほしいと要求したが日帝が断ったという内容が書かれた「遺体引渡要求に関する処理経緯報告書」の写本も確保された。

安義士の弟、安定根(アン・ジョングン)が安義士の写真で5種類の葉書を作り、米国のハワイに300枚、サンフランシスコに500枚を送った記録も写真とともに見つかった。

日本監獄協会が1910年1月20日に発行した監獄協会雑誌で「(安義士は)普通の刑事被告人だが、国事犯と同格で扱われている」という内容も出てきた。


安重根義士の死刑命令書が見つかる(1)

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