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祖父が作った自民党を孫が打ち壊す/日本

2009.08.31 08:13
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今年2月、東京の鳩山由紀夫民主党代表の個人事務所。執務室に入ると当時幹事長だった鳩山氏は10平方メートルあまりのこじんまりとしたスペースで淡々と記者を迎えてくれた。4人掛けのソファの半分には日本の未来と東アジア外交政策をテーマにした本が積み上げられていた。鳩山氏が政権交代のための戦略をどれだけ激しく深く考えているのか直感できた。この当時は日本の世論は政権交代の可能性には半信半疑だった。記者は鳩山氏になぜ政権交代しなければならないのかを尋ねた。鳩山氏は「友愛社会を建設するためだ。時代に取り残された自民党を壊し、新たな政策と新たな人物が中心となり閉塞した日本を換骨奪胎させなくてはならない」と力を込めて話した。

彼のこうした信念は祖父の鳩山一郎元首相の政治哲学から始まる。鳩山氏は「友愛は祖父一郎がフランス革命のスローガンである博愛のような意味で使った言葉だ」と話す。また友愛社会について、「究極的には国民に仕える政治を行い、国同士では平和に助け合って生きていくことを目指す」と説明した。鳩山氏は民主党代表就任演説でも「国の役割を外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー・環境などに限定し、国民生活に密接につながる権限・財源・人材は地方に移譲して地域の実情により決定するシステムに変革する」と述べた。

 
鳩山氏は政治哲学だけでなく、執念と勝負欲でも祖父一郎の影響を受けた。自由党総裁だった一郎氏は1946年に総選挙で勝利し首相就任を目前にした状況だったが、彼の反米発言が連合国軍総司令部(GHQ)に伝わり政界から追放された。党は吉田茂氏に任せた。

一郎氏は5年後に赦免され政界に戻ると吉田氏は「ワンマン首相」と呼ばれる政界の最高実力者として君臨していた。「戻ってくれば席を返す」という約束は反故にされて久しかった。吉田氏は今回の総選挙で敗軍の将となった麻生太郎首相の祖父だ。鳩山-麻生の対決は60年余り前の鳩山-吉田の権力闘争から始まったものだ。一郎氏は臥薪嘗胆の末に55年に自由党と民主党の保守大連合を通じて自由民主党を立ち上げ、自民党政権最初の首相になった。

鳩山氏は祖父が作り54年にわたり日本を統治してきた自民党を30日にみずからの手で崩した。3代にわたって行われた鳩山対吉田の家門対決も勝利で飾った。祖父が作った党を対象に政権交代を成し遂げ首相就任を控えた鳩山氏の成功はとても劇的に見えるが、彼の政治経歴は険しかった。

93年に自民党が一時的に分裂した時に理想主義を掲げ離党した鳩山氏は96年に民主党を旗揚げしてから13年間を野党として過ごしてきた。野党の勢力を伸ばすために2003年に小沢一郎氏率いる自由党と統合した時は革新的な党内人事を行おうとして党内の反発に会い代表職を辞した。その後は民主党の求心点としての役割を果たしながら政権交代を達成した。祖父に続き首相となり日本の政治史で「ポスト自民党時代」の主役になったものだ。しかし民主党の大物である小沢氏を超えて自身の政治を展開しなくてはならないという宿題が残されている。


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