細川護熙元日本首相は韓日関係を大きく進展させた政治リーダーだった。8カ月しか首相を務められなかったが、ソウル訪問時、日帝の創氏改名に対して謝罪した。彼はアジア各国に向けて日本の侵略行為を最もきちんと謝った最初の首相だった。彼は小沢一郎(現在民主党代表代行)とともに1993年8月「非自民8党連立政権」を主導した。細川氏は腐敗・派閥政治を批判して自民党を離党し、新政党を結成した。日本社会の底辺を流れる「周辺国に対して過去の問題をいつまで謝らなければならないのか」という社会的情緒を飛び越えた。
日本政界の過去史の謝罪気流は社会党出身である村山富市首相(94年6月~96年1月)まで続いた。以前50周年を迎えて発表された「村山談話」は、太平洋戦争前後の侵略と植民地支配に対して公式的な謝罪の意を表明した。