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大統領によって揺れ動いた韓米関係30年(2)

2008.11.07 09:33
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◇「冷温」金泳三、クリントン両氏=93年7月にクリントン大統領が就任後の初の訪問国として韓国を選ぶほど、最初は韓米関係が順調に進んだ。だが北朝鮮と米国が核交渉に入るにつれ、対立しはじめた。北朝鮮に対する包容政策を求めたクリントン政権は「核を保有する集団とは対話できない」とし、対北強硬策を標榜(ひょうぼう)した金泳三(キム・ヨンサム)政権とギクシャクした。

94年10月に朝米両国の間でジュネーブ枠組み合意が実現された当時、米国はクリントン大統領名義の親書を北朝鮮側に送った。「北朝鮮が合意を違反しなければ、軽水炉事業を最後まで保障する」という内容だった。しかし米国はこの事実を韓国に通知せず、後ほどこれを知った金大統領は非常に怒った。それ以降、96年の北朝鮮潜水艦侵入事件をめぐる処理などで、2人の対立はより一層深まった。しかし、このため金大統領は、任期末期に迎えた国際通貨危機のとき、米国から迅速な支援を受けることができなかったという。

 
◇「愛憎の8年」金大中、盧武鉉、ブッシュ氏ら=金大中(キム・デジュン)大統領はクリントン民主党政権とは蜜月関係だったが、後任のブッシュ政権とは相性が合わなかった。ブッシュ氏は01年、米ワシントンで開かれた首脳会談で、父親ぐらいの年齢にあたる金大統領を「This Man」と呼び、無視することもあった。根本的な原因は北朝鮮問題をめぐる意見の隔たりだった。

太陽(包容)政策と「悪の枢軸」が対立した。ブッシュ、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両大統領の関係はさらにギクシャクした。一時良い瞬間もあった。盧大統領が支持層の反対にも関わらず、03年にイラクへの派兵を決定すると、ブッシュ氏は深い感謝の意を伝えた。だが2人は結局、北朝鮮観の隔たりによる対立を克服できなかった。

昨年9月、豪州でアジア・太平洋経済協力会議(APEC)首脳会談が開催された当時、盧大統領がブッシュ大統領に「平和条約についてより明確にコメントしてほしい」と数回求めると、ブッシュ大統領が腹を立てる事態まで発生した。ワシントン政界の消息を伝える情報誌ネルソンレポートは「盧大統領の儀典上の欠礼について、ブッシュ大統領だけでなく現場の(米国の)記者も驚いたようだ」と報じた。両国の外交官らが急いで収集作業に臨んだが、両首脳の不仲を示す象徴的な事件だった。


大統領によって揺れ動いた韓米関係30年(1)

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