◇「冷温」金泳三、クリントン両氏=93年7月にクリントン大統領が就任後の初の訪問国として韓国を選ぶほど、最初は韓米関係が順調に進んだ。だが北朝鮮と米国が核交渉に入るにつれ、対立しはじめた。北朝鮮に対する包容政策を求めたクリントン政権は「核を保有する集団とは対話できない」とし、対北強硬策を標榜(ひょうぼう)した金泳三(キム・ヨンサム)政権とギクシャクした。
94年10月に朝米両国の間でジュネーブ枠組み合意が実現された当時、米国はクリントン大統領名義の親書を北朝鮮側に送った。「北朝鮮が合意を違反しなければ、軽水炉事業を最後まで保障する」という内容だった。しかし米国はこの事実を韓国に通知せず、後ほどこれを知った金大統領は非常に怒った。それ以降、96年の北朝鮮潜水艦侵入事件をめぐる処理などで、2人の対立はより一層深まった。しかし、このため金大統領は、任期末期に迎えた国際通貨危機のとき、米国から迅速な支援を受けることができなかったという。