<南大門でたらめ復元>うわべだけで終わった「伝統方式による復元」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.11.07 13:30
崇礼門(スンレムン、南大門)火災から3周年となる2011年2月10日、凄惨な火災で損傷した崇礼門の現場に韓服姿の人夫が登場した。彼らは木をのみで整え、石切りのみで石を叩き、柱と縄を利用した昔の起重機で石材を持ち上げた。当時の崔光植(チェ・グァンシク)文化財庁長が彼らを激励した。この席は意味が大きかった。本格復旧に入るのに先立ち伝統の道具を使った伝統作業方式が初めて公開される席だったためだ。
文化財庁は2008年5月に崇礼門復旧基本計画を発表し、「重要無形文化財などの技術者が参加して伝統技法と道具を使って復元する」という原則を明らかにした。伝統方式による復元は崇礼門が初めてだった。伝統業界は期待した。しかしその日以降、現場から韓服は消えた。起重機の代わりにクレーンが石を持ち上げ、シャベルの代わりに掘削機が土を掘り起こした。1日だけ見せた「国民向けのショー」だった。
その後復元現場では「形だけの伝統方式」が続出した。材料の調達・運搬のような工事過程のうちどこまで伝統に従うのか、さらには伝統が何なのかに対する原則が立てられなかったためだ。城郭の石積み責任者を務めた重要無形文化財第120号のイ・ジェスン石匠は、「伝統方式通りならば人夫が石を城壁の上まで運ばなければならなかった。しかし時間的・物理的に不可能だった」と話した。文化財庁関係者も「人夫が韓服を着たのは復旧現場公開がある日だけだった」と認めた。