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「ルノーサムスンの危機克服DNAを忘れるな」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.30 09:44
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李氏の考えは違う。「労働組合がゲームをする前からあきらめている」と批判した。李氏はここでルノーサムスン車の歴史にまた言及した。通貨危機直後の1998年1月、サムスン自動車は最初の自動車(SM5)発売をわずか2カ月後に控えて資本欠損という状況を迎えた。当時、政府は系列会社間の支援を禁止した。李氏によると、サムスン自動車はサムスン電子やサムスン重工業から毎年1兆2000億ウォンの支援を受けていた。ところが政策の変化で突然、資金源が中断した。毎月1000億ウォンずつ返済しなければ直ちに工場が閉鎖する状況だった。

通貨危機状況で韓国に大規模な資金を投資する大胆な企業を見つけるのは不可能だと考えられた。しかし李氏ら5人のサムスン自動車特殊チームは地球40周の距離(110万マイル、177万キロ)を移動しながら活動し、結局、1998年12月に売却先(ルノー自動車)を見つけた。

 
この過程でルノーサムスン車が「危機克服DNA」を刻んだというのが李氏の主張だ。李氏は「今までルノーサムスン車はすべての危機を自らの努力で克服してきた」と声を高めた。政府と交渉して税金が投入された韓国GMや法定管理から復活した双龍車とは次元が違う企業だとして一線を画した。

労働組合に対する思いも吐露した。労働組合は「殺人的労働強度」を根拠に賃上げを要求している。2015年(20万5000台)に比べて昨年(21万6000台)は生産量が増えたが、勤労者(3700人→2400人)はむしろ減ったというのが根拠だ。しかし李氏は「工程改善に投資して生産性を改善したため勤労者の労働の強度はむしろ軽くなった」と説明した。李氏は「この期間、勤労者の作業動線(一日1万歩→5000歩)が減り、一日の平均余裕時間(3000秒、50分)も増えたということだ。また「(名誉退職でなく)自発的退社者が0人という事実も労働強度が殺人的でない間接的な証拠」と話した。

李氏がインタビューで終始強調したのはルノーサムスン車の労使関係だった。李氏は「ルノーサムスン車は国内のほかの自動車企業とは完全に違う『労使関係の模範事例』を出してきた」とし「サムスン・ルノー・日産のDNAを刻んだルノーサムスン車の後輩たちなら、今回の件(本人の辞任)をきっかけに問題を円満に解決していくと信じている」と語った。


「ルノーサムスンの危機克服DNAを忘れるな」(1)

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    サムスングループが自動車産業への進出を準備しながら作成した「PS建設計画」報告書。日産自動車と共同で制作し、日本語で作成した。
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