「ルノーサムスンの危機克服DNAを忘れるな」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.30 09:44
李氏の考えは違う。「労働組合がゲームをする前からあきらめている」と批判した。李氏はここでルノーサムスン車の歴史にまた言及した。通貨危機直後の1998年1月、サムスン自動車は最初の自動車(SM5)発売をわずか2カ月後に控えて資本欠損という状況を迎えた。当時、政府は系列会社間の支援を禁止した。李氏によると、サムスン自動車はサムスン電子やサムスン重工業から毎年1兆2000億ウォンの支援を受けていた。ところが政策の変化で突然、資金源が中断した。毎月1000億ウォンずつ返済しなければ直ちに工場が閉鎖する状況だった。
通貨危機状況で韓国に大規模な資金を投資する大胆な企業を見つけるのは不可能だと考えられた。しかし李氏ら5人のサムスン自動車特殊チームは地球40周の距離(110万マイル、177万キロ)を移動しながら活動し、結局、1998年12月に売却先(ルノー自動車)を見つけた。