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「米国、原発設計図を黒く塗って渡す…70年代のうっ憤が韓国原発を生んだ」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.09.28 14:21
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科学技術処長官を2回務めた鄭根謨(チョン・グンモ)博士(79)は大韓民国を代表する科学者であり科学技術行政家だ。満23年5カ月だった1963年2月、米ミシガン州立大で応用物理学の博士学位を取得した第1世代科学者であり、韓国人の海外最年少博士学位取得記録を立てた。韓国科学技術院(KAIST)と高等科学院(KIAS)の設立を提案し、韓国型原子炉の開発に率先しながら、韓国科学技術の基礎を築くのに寄与した。科学技術は貧困脱出と経済発展の礎石となった。

中央日報の長寿連載物「残したい話」が鄭根謨氏の人生を振り返る。「科学技術が経済エンジン」というタイトルのように科学技術を通じた経済発展とエネルギー自立の過程に注目する。現在、KAIST(韓国科学技術院)科学政策大学院客員教授の鄭根謨氏の証言から「科学立国」の隠れた歴史を発掘し、反すうする予定だ。連載に先立ち、鄭根謨氏の人生哲学とそれを公開する理由を尋ねた。

 
--科学者と科学・技術行政家として、これまで歩んできた道を整理してほしい。

「いま考えると疾風怒涛の時期だった。あたかもある人が予定していたのではという気がする。私がしてきたことが何かと問われれば、大きく3つに整理できる。エネルギー分野とKAIST(韓国科学技術院)、そして研究開発(R&D)システムの革新だ」

--エネルギー分野ではどんなことをしたのか。

「分子エネルギー構造論で55年前に米国で博士学位を取得したのをはじめ、原子力エネルギー分野の研究を続けた。その後、韓国で原発技術の確保に努力し、エネルギー自立に寄与したことを誇りに思っている。特に80年代に『韓国型原子炉』の開発を主張し、エンジニアと共にこれを実現させたのは生涯で最も大きな成果だ。これを通じて韓国は世界的な原子力技術強国となり、エネルギー自立にも一歩さらに近づくことになった」

--韓国原子力産業に寄与しようという考えはどのように抱いたのか。

「実際、韓国の歴代指導者はどの政権も原子力に関心が多かった。そして68年に経済成長のための電力を確保するために原発の建設を決めた。しかし当時、韓国にはいかなる技術もなかった。原発建設でできることは掘る作業と敷地に土を運ぶことくらいだった。科学技術者を米国のアルゴン国立研究所など海外に派遣して訓練させたが、技術の獲得は容易でなかった。結局、78年に古里(コリ)原発を米ウェスチングハウスが建設したが、我々は設計と建設の過程には参加できず、完工状態でカギを受けただけだ。当時、我々が受けた設計図面はほとんど真っ黒に塗りつぶされていた。技術ノウハウなので知らせることはできないということだった。我々は資金も、技術も、人材もなかった。科学技術者はうっ憤がたまるしかなかった。技術従属の暗い時代だった。こうした状況だったため積極的に取り組むようになった」

--どのように対応したのか。

「70年代にKAIST(韓国科学技術院)の前身の韓国科学院(KAIS)に科学技術社会研究室を設置して活動した。当時、『経済発展のためには市場と連結するエンジニアリング、すなわち工学分野を集中的に研究する戦略が必要だ』と主張する論文を数多く発表した。その一つがエネルギー分野だった。73年の中東戦争に続く石油危機でエネルギー需給が国家的な課題に浮上した。それでエネルギー自立手段の一つとして原発の建設に拍車を加えることになった。こうした状況で私は、自分たちの手で原発を設計・建設・運用する技術を獲得しなければ、エネルギー自立と安全技術の確保は難しいと強調した。幸い、原発の建設を継続したおかげでエンジニアは現場で経験を積み、原発技術の自立を実現しようという強い意志もあったため、米国のエンジニアリング会社から技術を受けることができた。その過程で過去の真っ黒に塗られた原発全体図面を初めて見ることができたほか、我々の手で韓国型原子炉を新しく設計できるようになった。夢の技術を自分たちのものにした技術自立の瞬間だった」

--その成果をどう評価しているのか。

「世界のエンジニアリング史でもあまり見られない感動の事例だ。その結果、100万キロワット級韓国型標準原子炉OPR-1000と140万キロワット級韓国型新型軽水炉APR-1400に続き150万キロワット級次世代新型原発APR+まで開発した。世界の原発技術を韓国がリードするレベルに達した。原発技術の自立は韓国経済とエネルギー史はもちろん、科学技術史でも我々の世代の業績として記録されるほど誇らしいことだ。アラブ首長国連邦(UAE)に原発輸出までした驚くべき過程の隠れた歴史については今後『残したい話』を連載しながら詳細に伝えたい」


「米国、原発設計図を黒く塗って渡す…70年代のうっ憤が韓国原発を生んだ」(2)

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    「米国、原発設計図を黒く塗って渡す…70年代のうっ憤が韓国原発を生んだ」(1)

    2018.09.28 14:21
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    鄭根謨(チョン・グンモ)氏は1950年代に物理学を専攻した第1世代科学者。韓国科学技術院(KAIST)の設立と韓国型原子炉の開発を主張した鄭氏は、韓国の経済復興と社会の安定を実現させた核心動力を科学技術の発展と信じている。特にエネルギー技術の自立は韓国の歴史の流れを変えた決定的な事例と評価している。
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