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【コラム】1592年と2019年、私たちは変わったのだろうか=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.10 10:03
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豊臣秀吉を直接見ても対策は分かれた。秀吉を見た通信使の黄允吉(ファン・ユンギル)は朝鮮に戻ると「必ず兵火があるだろう」と報告したが、副使の金誠一(キム・ソンイル)は「そのような情状は見つからなかった」と正反対のことを伝えた。実録には秀吉を見た2人の官僚の全く異なる印象評価も登場する。黄允吉は「眼光が輝いていた」としたが、金誠一は「目がネズミのようだ」と比喩した。実録には金誠一が朝鮮に戻る途中で「通過する帰途でさまざまな倭陣で倭将が与える品物を誠一だけは断り受け取らなかった」と記録した。倭には何も要求しないという彼の所信だったのかもしれない。だが、ネズミのようだという秀吉が送った倭軍は、明の地上軍を碧蹄館(ピョクチェグァン)で撃破した当時の精鋭兵だった。

いま我々は、この政府は、日本を本当に甘く見ているのではないのか。日本が真顔になって我々に一撃与えると出てきたら、それを防ぐ盾があるのか。盾がないなら、我々も逆攻勢できる棒があるにはあるのか。

 
倭軍との戦闘で釜山の辺将・鄭撥(チョンバル)将軍は矢がすべて尽きると敵の弾丸を受けて戦死した。東莱(トンネ)府使の宋象賢(ソン・サンヒョン)は抗戦を指揮し、鎧の上に朝服を着て椅子に座っていたが、結局死んだ。準備が整っていない戦争で、現場の指揮官は死を以て倭軍と対抗しなければならなかった。

1592年釜山沖で始まった倭乱と2019年韓国半導体企業から始まった日本の報復措置を同じ線上で比較するのは無理があるかもしれない。だが、その時も今も、海の彼方のあの国に向かって興奮するすべは知っていても、備えることができない我々の姿勢は本当に痛嘆に耐えない。歴史がまた繰り返されるのではないかと思うとぞっとする。

チェ・ビョンゴン/国際外交安保チーム長


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