【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.10.03 15:56
左右を見回すという意味の「左顧右眄」が必要な時がある。政界が歴史的事件を評価する場合だ。野党は独立運動家の洪範図(ホン・ボムド)論争が収まる前に今度は東学を取り出した。国会常任委員会小委員会で強行処理された東学法改正案は直線的でとても洗練されているとはいえない。1894年東学農民蜂起(東学党の乱)参加者を「独立有功者」として待遇して「玄孫」まで教育・就職・医療の恩恵を付与しようというものだ。「日帝の侵略に対抗して抗日武装闘争を展開したから」独立有功者、130年前のことなので玄孫だとした。家系図をひっくり返して高祖父の行跡を調べないといけないかもしれない。
文化体育観光部傘下「東学委員会」に登録された人は東学運動参加者3745人、遺族は1万3000人余りだ。はるか昔のことで先代の証言と口伝を収集してもっと登録するよう求めた。遺族が数万人増えるかもしれない。東学軍の足跡が韓国の随所に散在しているからだ。当時参戦したオ・ジヨンの陳述によると、公州牛金峙(コンジュ・ウグムチ)の戦い(1894年10月)で2万人余りが戦死した(『東学史』)。任実(イムシル)に居住していた黄玹(ファン・ヒョン)は最も激しい戦いとして蟾津江(ソンジンカン)の戦いを挙げた(『梧下記聞』)。康津(カンジン)と長興(チャンフン)地域の1余万の東学軍は大邱(テグ)まで進撃し、その帰り道で蟾津江で待ち伏せした官軍と日本軍の攻撃を受けた。銃に撃たれて溺死した死体が蟾津江を血の海にしたと黄玹は書いている。羅州(ナジュ)の戦いでは「官軍が農民軍2万人余りの首を切った」とした。