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【コラム】「これは運命」…「李舜臣の最期」発見、日本で生まれ育ったこの人(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.12.12 13:53
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9万4341点。日本にある韓国の文化財の数だ。国外所在文化財財団を通じて返還作業を始めてから今年で10年が経過した。多くの文化財が戻ってきたが、この至難の作業の裏で静かに活動している人たちがいることを知る人は少ない。日帝強占期に消えた多宝塔の石獅子像3点が日本のどこかで発見されるかもしれないという考えで各地を回る人たちから、発見した文化財を故国に無償で寄贈する人たちもいる。

◆李舜臣の名前にハッとした

 
9日午後、京都大で会ったキム・ムンギョン京都大名誉教授が笑った。「非科学的な話のようだが、偶然ではないようだ」と言いながら2時間にわたり熱心に説明したのは「大統暦」のことだ。大統暦は朝鮮時代に金属活字で刷られた一種の政府冊暦だが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に西厓柳成龍(リュ・ソンリョン、1542-1607)がこの冊暦を日記帳のように使用したものがあった。今は「柳成龍備忘記入大統暦」と呼ばれる。この日記帳が最近、日本で発見されて韓国に戻ってきた。この文化財の返還に決定的な役割をしたのがキム教授だ。

2020年5月。京都古書組合が春の競売目録をキム教授に送ってきた。中国文学を研究してきたキム教授の目につくものがあった。「大統暦」だ。ここには1600年6月5日の記録として「姜沆(丁酉再乱当時に日本に連行された義兵長)が日本から来たという」と書かれていた。金額は228万円だった。

宣祖実録を見てみると、同じ内容があった。関心が向かったが、新型コロナのため封鎖状況であり、動くことができなかった。そして1年後の2021年秋、東京古書店の競売目録でまた同じものを発見した。今回も新型コロナのために行くことはできず、知人を通して売れなかったという話だけを聞いた。

そして今年4月、春の迎えて京都で古書籍の競売を訪れたところ、2度も情報で接していた「大統暦」が目に入った。競売目録になかったため予想外のことだった。了解を得て古書を初めから最後まで見ると、李舜臣(イ・スンシン)将軍の字「汝諧」という文字が目についた。草書で書かれていたが、「私が罷免されたことを聞いて汝諧が嘆いた」という文が見えた。ハッとした。この瞬間からこの大統暦に出てくる日時別の特異な行跡と動線を覚えるように頭の中に入れた。

家に帰って記録を比較した。柳成龍年譜と大統暦に記録された主な行跡がすべて一致した。所蔵中だった柳成龍図録の筆跡とも比較した。筆跡専門の知人が字体が同じだと判断し、この冊子が柳成龍先生のものという確信が生じた。キム教授は国外所在文化財団に連絡し、「弾丸を受けて戦死した」という李舜臣将軍の最期を記録した柳成龍の大統暦はこうして故国に戻った。

2005年に忠武公・金時敏(キム・シミン)将軍(1554-1592)功臣教書を日本古書店で発見して知らせたのもキム教授だった。競売に出てきたこの古書が伝えられ、韓国国内に返還運動が起きた。キム教授は藤塚隣元京城帝国大学教授が収集した秋史・金正喜(キム・ジョンヒ)の関連資料も集め、京都高麗美術館に寄託した。

【コラム】「これは運命」…「李舜臣の最期」発見、日本で生まれ育ったこの人(2)

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    2022.12.12 13:53
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    9日、キム・ムンギョン京都大名誉教授が自身が研究していた京都大人文学研究所の前で、西厓柳成龍(リュ・ソンリョン)の記録が入った「大統暦」の返還過程を説明している。 京都=キム・ヒョンイェ特派員
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