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李舜臣の「最後の瞬間」…「柳成龍カレンダー」日本から帰還

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.11.25 11:06
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李舜臣(イ・スンシン、1545~1598)将軍の最後の瞬間を記録した「柳成龍(リュ・ソンリョン)カレンダー」が日本で発見され、韓国に戻った。

文化財庁と国外所在文化財財団が日本人所蔵者から買い入れ、24日に公開した『柳成龍備忘記入大統暦-庚子』だ。大統暦とは、日付・節気を記した冊暦だ。金属活字で印刷したカレンダーだ。李舜臣将軍と漢陽乾川洞〔ハンヤン・コンチョンドン、現在の中区仁ヒョン洞(チュング・イヒョンドン)〕で幼年期をともに過ごした西厓(ソエ)・柳成龍(1542~1607)が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)が終わった2年後である1600年(庚子年)に使用し、記録を残したものと推定される。A4用紙より少し長い縦・横20・30センチの大きさで表紙を含めて16枚だ。

柳成龍は大統歴の余白にぎっしりとメモを書いた。「雨が降った、とても暑かった、夜夢が煩わしかった、菊を掴んだ、母親が便秘を患った…」。日付別にその日の出来事を記録した。

李舜臣の最後に関する記録は大統暦の表紙に書かれている。本来存在したとみられる藍色の表紙は剥がれ落ち、最初のページに草書体で83文字が書かれている。

戦争の日に直接試石(矢と石)を冒すと、副将が陣頭指揮することを引き止め、「大将が自らを軽く思ってはなりません」という文章が見える。直接戦闘指揮に出た李舜臣を部下たちが止める場面だ。続く文章が決定的だ。

「直接出場して戦争を督励し、やがて飛んできた弾丸に当たって戦死した。ああ!」。最後の感嘆詞「ああ」の漢字語は切なさを意味する「嗚呼」と表記されている。

下段の一部がき損されカレンダーの下部に3~5文字が消えた状態だ。忠武公李舜臣の字(大人になると受ける新しい名前)である「汝亥(ヨへ)」が書かれており、「大将」が李舜臣であることを推定できる。

李舜臣専門家である汝亥研究所のノ・スンソク所長は「李舜臣将軍が弾丸に当たって倒れたという話は柳成龍が残した『徴秘録』にも登場するが、出征前に部下が大将を引き止めたという記録はどこにもない。初めて見る内容」と評価した。また「李舜臣の戦死は柳成龍にとって大きな事件であり、庚子年を通して大統歴を取り出しすたびに見る表紙に綴っておくほどの意味だったと推測される」と付け加えた。

大統暦にはこの他に、丁酉再乱(慶長の役)の際に日本に連れて行かれた姜ハン(カン・ハン、1567~1618)が捕虜生活を終えて1600年に帰ってきたことなど、当時の状況が分かる内容が多数含まれている。お酒を作る時、水をどれくらい入れるなど醸造法も書かれている。把握されたお酒の種類が7~8種だ。

大統暦は京都大学のキム・ムンギョン名誉教授が、ある日本人所蔵者が2年前にオークションで買い入れた事実を5月に文化財庁と文化財財団に知らせることで存在が確認された。財団側はノ・スンソク所長に資料翻訳を任せ、2カ月間の内容検討の末に李舜臣関連記録であることを確認した後、3回の評価委員会を経て買い入れた。

購入には宝くじ基金を活用した。購入金額は公開していない。

『柳成龍宗家文籍』は現在宝物に指定されている。大統歴6冊が含まれているが、庚子年の記録は新しいものだ。

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    李舜臣の「最後の瞬間」…「柳成龍カレンダー」日本から帰還

    2022.11.25 11:06
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    還収された庚子年の大統暦は宝物『柳成龍宗家文籍』に含まれた大統暦[写真 文化財庁]
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