【コラム】21世紀「韓国策略」半導体(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.08.09 13:28
「シー、静かに!」。ワシントン参戦勇士記念公園に設置された「19人勇士像」の先頭兵が発した四周警戒命令。長津湖(チャンジンホ)の酷寒の中で退却する米国勇士のおじけづいた表情が胸を打つ。中国共産軍の攻勢に押された。マイナス25度、どこの国かも知らずに派兵された山岳で米国兵士の数千人が閉じ込められた。米第10軍団の敗残兵は北朝鮮住民10万人を乗せて興南(フンナム)埠頭を離れた。米国兵士らはようやく戦争、それも共産圏との全面戦争であることを実感し始めた。
華川(ファチョン)に集結した人民軍第7師団参謀長の李学九(イ・ハック)総佐は6月25日午前4時、腰の拳銃を抜いた。T-34戦車のキャタピラが轟音を鳴らしながら作動し、曲射砲の砲身が火を噴いた。破竹の勢いで南下した第7師団機甲旅団と歩兵は八堂(パルダン)付近の漢江(ハンガン)渡河で立ち止まった(TRフェーレンバッハ著『This Kind of War』)。
同じ時刻、人民軍第2師団精鋭部隊は春川(チュンチョン)を攻撃した。洪川(ホンチョン)-原州(ウォンジュ)を攻撃する部隊だった。師団長はイ・チョンソン中将。中国抗日義勇軍出身でスペイン内戦に参戦し、ソ連の対独戦線に投入され、人民軍に身を投じたベテランだった。第2師団は昭陽江(ソヤンガン)を渡ることができなかった。春川鳳儀山(ボンウィサン)に集結した韓国軍第6師団野砲部隊と歩兵の攻撃に戦力の40%を喪失した。師団長は金鍾五(キム・ジョンオ)将軍だ(チョン・ビョンジュン著『韓国戦争』)。