【コラム】すべきではない話があふれる韓国社会
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2022.07.24 13:23
西洋の人たちが韓国人に対して持っている印象のひとつが礼儀正しいということだ。頭を下げ腰を曲げてあいさつし、握手も両手でしたりもし、名刺も丁寧にやりとりする。名前さえむやみに呼ばず肩書きなどを付ける。尊敬語というものもあるので相当に礼儀正しい人たちとみられる。
だがこうした韓国人に対し西洋の人たちが意外に驚くことがある。その代表的な例が容貌に対して直接言及するケースだ。韓国人は安易に他人の容貌に対して話す傾向がある。さらに体重や髪型に言及したりもする。それほど親しくもない関係なのにだ。何気なくした話だが言われる立場では気分は良くはない。若く見えれたり健康に見えたり美人だというなど容貌をほめる言葉だとしてもやはり同じだ。話す側では良い意味だとしても、どこか評価として聞こえたりもする。だから容貌に対する話をするよりはいっそ話をしない方がましだ。かなり親しい仲でもそうだ。
「肉はかむべきで言葉は話すべき」という韓国のことわざがある。しかし実は言葉とは話して問題になることがもっと多い。無駄な話やすべきでない話をして失うことになる点数が話をして得られる点数よりも多いためだ。だから話というものはむしろ減らすことが味であるようだ。歳を取るほど財布は開いて口は閉じるのが良いという言葉をとても多く聞きうんざりするほどだ。だが同じ話を繰り返し聞いたからと実践するようになるものではない。それができるならば学生時代ほとんどだれでも勉強を熱心にすることになっただろう。もちろん言葉を控え、話しても用心をすべきというのはただ歳を取った人たちだけが肝に銘じるべき話ではない。