【コラム】NATOが東方に向かった理由
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.06.10 10:55
最近ウクライナ戦争に関連し、欧州主要国(英国・フランス・ドイツ)と当事国であるロシア・ウクライナの駐韓大使を順番にインタビューした。最も刺々しかったのはやはりロシアだった。アンドレイ・クリク大使は「歴史的な過程を理解しなければ現状を正しく知ることはできない」としながら今回の侵攻の名分を「訓戒調で」説明した。興味深かったのはクリク大使が今回の「特殊軍事作戦」(ロシア式表現)をウクライナの脱ナチス化とともにさらに大きな紛争を「予防するために」と述べた点だった。米国がイラク侵攻の時に使った「予防戦争」という名分をそのまま返すような発言だった。
クリク大使はNATO(北大西洋条約機構)東進に対する不満も打ち明けた。「冷戦が終わったが、なぜ解体どころか東欧国家を受け入れ続けたのか」だ。実際、NATO東進の問題点に対してはジョン・ミアシャイマーをはじめとする「現実主義」国際政治学者が数回指摘したことがある。米国内でこれを代表的な外交的失敗に挙げる者も少なくない。それでもNATOが漸進的な膨張をするばかりだったわけではない。1949年NATO創立メンバーだったフランスは1966年ドゴール政権の時、米国の影響圏から抜け出して独自外交路線を追求するという名分で脱退した。復帰は43年後の2009年だった。ロシアはウクライナのEU(欧州連合)加入も反対しているが、ブレグジット(英国のEU離脱)が示すようにEUもいつも一心同体だったわけではない。