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【時視各角】車椅子デモを行う人々=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.04.27 10:58
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現場にいたら私はどう思っただろうか。障がい者の移動権と権利予算保障を要求した全国障がい者差別撤廃連帯の地下鉄デモのことだ。車椅子の搭乗と五体闘志で出勤途中の地下鉄の運行を遅延させた。「市民への被害が大きすぎる」「誰でもデモを行う権利がある」など反応が交錯した。市民が疲労感を訴える声が大きくなると、障がい者総連合会はこのようなやり方が「障がい者に対する認識を悪化させる」として批判した。どちらにしても、今回のデモが障がい者問題に対していつになく熱い関心を引き起こしたのは明らかだ。「非文明的デモ」と批判した野党「国民の力」李俊錫(イ・ジュンソク)代表は、同連帯のパク・ギョンソク代表とJTBCでテレビ討論に臨んだ。韓国のテレビ討論番組で障がい問題を扱ったことは最初だった。障がい者の日(20日)の前日には発達障がい者と家族500人余りが「発達障がい者24時間支援体系」の構築を求めて集団断髪式を行った。発達障がい者の家族がいる張惠英(チャン・ヘヨン)議員(正義党)も参加した。

米国の障がい運動史を書いた本『障がいの歴史』によると、米国で「障がい(disability)」という言葉が生まれたのは近代国家の誕生と無関係ではない。以前も盲人・聾者など欠陥を持った人々はいたが、彼らを「障がい者」に範疇化したことは、独立的で有能で国民の資格を備えた者とそうではない者を分離しながらだ。依存的で労働できないため「瑕疵」がある存在は施設に送られた。今、全世界重症障がい者運動の主要キーワードが「脱施設」「自立生活運動」であるのもこのためだ。施設保護ではなく地域社会で地域民の一人として生きていくことが障がい者市民権の出発だと考えるためだ。

 
障がいは自分とは無関係なことだと考えやすいが、実は韓国に登録されている障がい者の9割が後天的障がい者だ。障がい者のための低床バスが高齢者や妊婦にも良いように「障がい者に良いことはみんなにも良いこと」でもある。また、よく障がいを肉体・精神の損傷と同一視するが、問題は損傷自体ではなく損傷による差別だ。「黒人は黒人であるにすぎず、特定の関係の中だけで黒人は奴隷となる」という有名な言葉を借りると、「損傷は損傷であるにすぎず、特定の関係の中だけで障がいとなる」(『障がい学の挑戦』)と言うことができる。「障がい者だから差別を受けるのではなく、差別を受けるから障がい者になる」という言葉もある。

保健福祉部の実態調査によると、2020年基準の障がい者の4割ほどが小卒以下(無学含む)だった。低い教育、不安定な雇用、貧困、低い社会的認定の連鎖だ。新政府に対して声が高まっているが、障がい者福祉約束を守らなかったのは文在寅(ムン・ジェイン)政府も同じだった。それでも団体の政治志向を問題にするのは答えではない。障がいイシューは政派を分けるようなことではなく、今後マイノリティやアイデンティティーイシューが政治で占める比重はさらに大きくなるのは明らかだ。

エレベーターが設置された地下鉄の駅舎や低床バスが増加しているが、車椅子障がい者が乗ることができる市外バスは皆無で、タクシーに乗ろうとしても1時間以上待たされるのが常だ。韓国の障がい者は2020年基準263万人、国民20人に1人の割合だ。反面、障がい者予算は経済協力開発機構(OECD)平均の3分の1水準。あまり目につかないので、いない存在として扱われながらあまりにも長い歳月が流れた。法・制度整備に劣らず、私たちの視線も振り返ってみるべきだ。男性が変わってこそ女性問題が解決されるように、非障がい者の認識が変わってこそ障がい者問題も解決することができるからだ。

彼自身が聾者であるウェブトゥーン『私はつんぼだ』のライラ作家は「一国家の福祉水準は街を行き来する肢体障がい者の数によって決まる」と話した。「障がい者が『障がい』者になるのは、身体的な不便のためというよりは社会が生産的発展の『障がい』とみて『障がい者』にするせいだ。何かができないからではなく、できないだろうと期待するためだ。その期待に応じて障がい者になるのだ」。他人が「障がい者教授云々」する時に障がい者であることに気づいたという故チャン・ヨンヒ教授の言葉だ(『生きてきた奇跡、生きていく奇跡』)。

ヤン・ソンヒ/中央日報コラムニスト

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