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【時論】人間尊厳性はどこかに行った規制一辺倒のコロナ防疫=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.01.10 14:10
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昨年12月、ある療養病院でコホート隔離中だった母親の訃報に接した遺族がいた。臨終どころか葬儀も行うことができず、火葬された骨の粉だけを受け取った。「母の最後の道はとても孤独で寂しかったに違いない。なのに体を清めてあげることもできなかった。一言の謝罪もない政府に恨(ハン)が残る」と遺族は嗚咽した。

これは例外的な事例ではない。今月6日現在、新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)発生以来2年間で発生した死亡者5887人の遺族のほとんどが同じようなことを経験した。死亡者は入院している間、家族の顔を見れないまま、その手を一度も握ることができないまま、心の中にしまっていた言葉さえ交わせないまま、臨終を迎えることになったケースがほとんどだ。病院の外で何もできずもどかしい思いで回復を待ちながらも訃報を聞くことになった遺族は絶望する。離れた場所から故人の顔さえ見ることができない。当局は一歩送れて「関連規定を見直す」と言ったが、それまでは「先に火葬、後に葬儀」という防疫規制によって、火葬された遺骨箱だけを受け取るのが現実だった。最小限の人間的品位と尊厳性も許さない、残忍な感染者葬儀指針だった。

 
世界保健機関(WHO)は2020年3月にガイドラインを通じて「死体からコロナにかかるという話には証拠がなく、死体を火葬しなければならないというのは『よくある迷信』にすぎない」と断言したことがある。米国などほとんどの国家はWHOの基準を採択してきた。だが、韓国疾病管理庁はパンデミック発生以降、「先に火葬、後に葬儀」の原則を守ってきて、昨年2月にこれを指針として明文化する非科学的な対応をみせていた。

その間に発生した感染者65万人余りの状況はどうだっただろうか。入院治療期間中に経験した保護者面会禁止、日常からの隔離と徹底した孤立および疎外などは人権と尊厳性の毀損そのものだった。もちろん、コロナ大流行という公衆衛生次元の危機状況で感染病の予防と管理の重要性、および必要性に伴う避けられない措置だったかもしれない。しかしこのような防疫措置は最小限の科学的根拠に基づいていなければならない。あわせて患者と家族の人権と自己決定権を最大限保障しなければならない。それでも現実はそうではなかった。コロナ患者達が病室で一人淋しく死闘を繰り広げている間、家族の面会は許されない。患者の状態が悪化して臨終が迫ってはじめて家族にこれを通知して面会することが許される。そのうえガラスの壁で分離された別途の隔離空間から見るか、家族が保護服と安全装備を着用して病室を制限的に訪問できるだけだ。臨終が迫った場合は言葉どおり死の直前の状況だ。患者には意識がないか、機械呼吸器など生命維持装置に依存している場合がほとんどだ。これでは患者と家族が最後の挨拶を交わす意味ある場になるわけがない。ただ行政的要式行為にとどまる公算が大きい。感染病予防の重要性と病院側の困難を考慮するとしても、コロナ患者に対する現行隔離規制と面会禁止、そして非科学的な葬儀指針は人権侵害と個人の尊厳性毀損という非難を避けることはできない。

コロナのために面会が全面的に禁止された療養病院と療養院は、昨年3月から例外的に家族の面会が許可された。臨終の時点、意識不明およびこれに準ずる重症患者、または主治医が患者の情緒的安定のために必要だと認めれば家族との面会が可能になった。3カ月後の6月に入ってからは、入院患者と面会人のうち、一方が予防接種を終わらせた場合まで面会が拡大された。このような前例を参考にして、コロナ患者にも最小限度の家族面会を許容するのは医学的にも十分に可能だ。韓国政府が幾度も強調してきた「疎外と差別がない包容的防疫」が真っ先に関心を持たなければならない対象は誰よりもコロナ患者と死亡者、その家族でなければならない。

チェ・ジェウク/高麗(コリョ)大学予防医学科教授

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