韓半島から西域の埴輪、黄金の宝剣、日本の土器が出土
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.12.20 15:20
「中国人のうち、秦の内乱に耐えかねて東方に移った者が多かったが、馬韓の東側に多く住みつき辰韓と共に暮らした」「昔脱解(ソッタルヘ)は倭国の北東側千里離れた婆那国で生まれた。阿珍浦〔現在の迎日湾(ヨンイルマン)〕の入り江に至ったとき、海辺にいた老婆が棺を開けてみると子どもがいて、拾って育てた」
『三国史記』のこのような記録は古代韓半島(朝鮮半島)に早くから外部から移住民がやってきていたことを示している。人の移動は物資の流通も促進するものだ。新羅が興徳王9年(834年)、ぜい沢品の風潮を防ぐためにエメラルド(瑟瑟)、翡翠毛、孔雀の尾、沈香など外国産の物品の使用を制限するというお触れを出したという『三国史記』の記録も、外部との交易が活発だったことを物語っている。
国立慶州(キョンジュ)博物館で先月末から開かれている「古代韓国の外来系文物-違いが作った多様性(ANCIENT KOREAN ARTIFACTS WITH ORIGINS ABROAD DIVERSITY FROM DIFFERENCE)」はこのように古代韓半島と外部の交流過程で残された遺物を紹介する特別展だ。近くは中国と日本、遠くは中央アジアやローマまでさまざまな時期と場所を経て韓半島に流入してきた外来系文物172件253点(国宝2件、宝物6件)が公開されている。