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文大統領夫人とあいさつした菅首相夫人、住み込みをしていたわけ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.06.14 18:02
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文在寅(ムン・ジェイン)大統領と日本の菅義偉首相との会談は実現しなかったが、両国首脳夫人の遭遇は成功的だった。英コーンウォールで11~13日に行われた先進7カ国(G7)首脳会議(サミット)でのことだ。青瓦台(チョンワデ、大統領府)は14日、文大統領夫人の金正淑(キム・ジョンスク)さんが菅首相夫人の真理子さんに先に近付き、「このように初めて会うことになりうれしい」とあいさつを交わしたと伝えた。時に両国首脳間のよそよそしい関係を配偶者が取り持つ場合もある。双方の息が合う場合だ。菅首相夫人はどんな人だろうか。

日本のファーストレディ、真理子夫人をめぐり日本メディアでしばしば登場する表現は「内助の功」だ。西日本新聞は昨年9月の菅首相就任当時、「新しいファーストレディは表舞台に立つのを極力避けて『内助の功』に徹してきた」と伝えた。英字紙ジャパンタイムズもやはり「陰の助力者として(夫人が主人公になる)行事は最小化するだろう」と報道した。前任の安倍晋三前首相夫人の昭恵さんとは180度違うというのが日本国内の評価だ。日本の有名企業で、キャラメルなどが韓国でも人気の森永製菓社長の娘の昭恵さんはバーを運営するなど世間の視線をあまり意識しない自由な歩みを見せた。

 
真理子夫人は違う。昨年の就任後はファーストレディとして必ず登場しなければならない場合でなければ絶対に前面に登場しない原則を守った。公式行事以外で見られる最近の写真も限定的だ。夫の首相就任翌月の昨年10月に歩いていく夫の上着がめくれ上がっているのを直している写真程度だ。

しかし家父長制に合わせた順応的な女性像とは距離があるとみられる。日本メディアの報道を総合すると、本人の考えをはっきり話すスタイルという証言が多く出てくる。朝日新聞が発行する週刊誌アエラがインタビューした真理子夫人の中学校時代の教師は、質素ながらも性格がきれいで明るい子で、人づきあいでは少し苦手な面があったが自分の意志をはっきり表現でき、特に笑顔が素敵な少女だったと話した。

真理子夫人は夫の政界進出を強力に反対したという。アエラなど日本メディアによると菅首相は「政界進出を決めた時に最も反対したのが妻だった」と話したことがある。しかし実際に夫の考えを受け入れてからは選挙の遊説でマイクを握ることも拒まなかった。ジャパンタイムズによると、真理子夫人は昨年9月に夫の首相就任確定後に選挙区のある横浜でマイクを握りこのように話したという。

「秋田県出身の夫が33年前、知人もほとんどいなかった横浜で(議員として)当選できたことはすべてみなさんのおかげです。その日があったから夫がきょうこの(首相)席までくることができました。感謝申し上げます」。

アエラによると、真理子夫人は結婚前には故郷である静岡で農家の男性と交際したことがあったが破局したという。静岡は東京に近い地域で、富士山とわさびなどが有名だ。真理子夫人の妹は小此木彦三郎衆院議員の秘書として働いていたが、これを契機に小此木家に住み込んで礼儀作法や家事を習ったという。アエラはこれについて、暮らし向きが苦しかったためではなく、当時の一部の慣習である「行儀見習い」を行っていたものと伝えた。

真理子夫人に対する世間の関心は日本国外でも熱い。中国環球時報もやはり昨年真理子夫人に関する特集記事を大々的に取り上げている。しかし真理子夫人本人はこれを好ましく思っていないという。真理子夫人は代わりに今回のG7やインドネシア国賓訪問など、夫の公務ではそばを徹底的に守る。夫より5歳年下の67歳で、3人の息子がいる。

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