韓国元大統領らの夢「株価3000」記録した日、文在寅政権が笑えなかった理由
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.01.07 08:23
#1.2007年12月14日に李明博(イ・ミョンバク)元大統領がハンナラ党の大統領候補としてソウル・汝矣島(ヨイド)の大宇(デウ)証券を訪れた。企業出身であることを強調し、「来年中に韓国総合株価指数(KOSPI)3000ポイント、任期中に5000ポイントを達成する」と公言したが、その日のKOSPIは前日より1.09%下落の1895.05を記録した。李元大統領就任初年度の2008年に金融危機が押し寄せて下落が続いた株価は任期半ばに回復し、かろうじて2000ポイントに到達した。就任初日の2008年2月25日の1709.13よりは上がったが、3000ポイント、5000ポイント達成の公約は実現しなかった。
#2.2012年12月19日にはKOSPIが1993.09だった。今回はセヌリ党の朴槿恵(パク・クネ)大統領候補がソウルの韓国取引所で「5年以内にKOSPI3000時台を必ず開く」と話した。だが彼女は任期5年を満了できず、セウォル号事故とろうそく政局を経て弾劾された。憲法裁判所が彼女の弾劾を決めた2017年3月10日のKOSPIは前日より小幅に上がった2097.35で取引を終えた。朴大統領の任期中に証券業界で繰り返された言葉が「ボックス相場に閉じ込められた韓国証券市場」だった。