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【時視各角】大統領の目だけに見えるトンネルの先=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.12.29 10:55
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出勤の途中、バスの車内に掲示されたポスターを見ながら、ずっとある種の気持ち悪さを感じた。「今一人にならなければ永遠に一人になるかもしれません」。その下の写真には人工呼吸器をしたまま目を閉じた、おそらくついさっき息を引き取ったばかりと見られる男性が横になっている。保健用マスクと人工呼吸用マスクをした2つの場面を並べた写真の上に「どちらのマスクをしますか。人がしてくれるときにはもう手遅れです」と書かれたポスターも見た。これはキャンペーンというよりも国民に対する脅迫ではないのか。とはいえ、為政者の眼中には国民はザリガニ・フナ・カエルにすぎないので、警戒心を高めるために、身の毛もよだつような恐怖マーケティングくらいはあまり大したことではないのだろう。大統領秘書室長が、防疫規則遵守を破ったと言って国民を「殺人者」だと責めたのも、このような認識の延長線から出たものなのだろう。こういう没人権的認識の前で「われわれが成し遂げた民主主義と人権の成長がK防疫の土台になった」という大統領の発言は虚しく霧散する。

社会的距離の確保を軸とする防疫は基本権に対する一定程度の制約を前提としている。その中には、法に規定されたわけでもなく投票で決まったわけでもないのに、社会構成員の暗黙的同意によって加えられる制約も含まれる。問題はその水準だ。ある国ではマスクをつけることを強要することさえ基本権の侵害になるが、我が国ではあえて強迫性ポスターを張り出さなくても全国民が各自が自主的にマスクをする。それだけだろうか。自分がどこへ行って何をしたのか丸裸にされる危険にもかかわらず、おとなしくQRコードを記録し、午後9時以後の私生活は返上して生きている。集会も、礼拝もオールストップだ。その代わりわれわれは人口に対する感染者数を減らし、米国・欧州のような大流行を避けてやってくることができた。

 
だが成功はここまでだった。それもよく調べてみると共同体意識を前面に出した国民の自発的努力に支えられていた部分が大きい。政府の自画自賛は少しやりすぎだ。「大韓民国が防疫の新しい標準を提示した」とし、K-POP韓流商品のようにK防疫を輸出できると豪語した。ビデオ国際会議に出席した大統領の発言も相当部分がK防疫の広報、すなわち自画自賛に割愛された。このような方面で、韓国よりもはるかに強力なコロナ防疫政策を展開した中国を論外とすると、自由民主主義国家のうちで韓国と同じ水準の基本権制約を受け入れることができる国はないだろう。政府の豪語とは違い、K防疫が決して世界の標準になれないと判断する理由だ。韓国の民主主義と人権の成長がK防疫の土台になったという大統領の発言に国際社会が同意するかはさらに疑問だ。そうでなくても北朝鮮に対するビラ散布禁止法や5・18わい曲処罰法などが順に通過し、国際社会は韓国の人権水準に懸念の眼差しを送っている局面だ。

政府が前面に出すK防疫の核心は検査(Test)-追跡(Trace)-治療(Treat)など、いわゆる3Tだった。当初から3Tだけではウイルスを退治できないという根本的限界にもかかわらず、政府がここにオールインした結果が痛すぎる。ウイルスとの戦争で、最終兵器はワクチンだという事実を看過するか無視した。その間、3Tは3無に変わった。ワクチン・病床・医療スタッフがないか不足しているということだ。ジョー・バイデン次期米国大統領をはじめ、世界各国の指導者が先を争って公開接種のためにテレビカメラの前でそでをまくっている。われわれは接種したくてもそのワクチンがない。政府が天文学的な資金を投じて4度にわたって編成した補正予算にワクチン購入費項目がなかったという報道の前では言葉を失った。

これほどになれば大統領は失策を洗いざらい認めて、今がもう後の祭りだったとしても、なんとか急がなければならない。それでも青瓦台(チョンワデ、大統領府)は大統領の古い発言録を引っ張り出してきて、責任を長官たちや一線の部署に転嫁している。役人は役人でつじつまの合わない弁解だけをならべている。彼らは皆、国民は眼中にもないためだろう。大統領の目には見えると言っていたトンネルの先が国民にはまだ遠い。乙巳年でもないのに、とりわけうすら寂しい庚子年の年の瀬がこのように過ぎ去ろうとしている。

イェ・ヨンジュン/論説委員

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