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日帝が鉄道で塞いだ「独立運動の聖地」臨清閣の復元本格化

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.12.23 10:18
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日帝が鉄道を敷いて一部が取り壊された臨清閣(イムチョンガク、宝物182号)復元が本格化した。臨時政府初代国務領を務めた李相竜(イ・サンリョン、1858~1932)一族が代々暮らした臨清閣からは11人の独立活動家が輩出され、「独立運動の聖地」と呼ばれる。

臨清閣復元の発端は2017年の第72周年光復節祝辞で文在寅(ムン・ジェイン)大統領が臨清閣に言及してからだ。当時文大統領は「臨清閣は李相竜先生など9人(その後2人を追加で叙勲)の独立闘士を輩出した独立運動の産室。大韓民国ノブレス・オブリージュ(社会指導層に要求される道徳的義務)を象徴する空間」と話した。

その上で「99間の大邸宅だった臨清閣は日帝によって取り壊された姿がまだそのままだ。李相竜先生の孫らは解放後に韓国で孤児院生活をしたりもした。臨清閣の姿はまさに私たちが振り返らなければならない大韓民国の現実」と指摘した。文大統領の発言後に文化財庁と慶尚北道(キョンサンブクド)、安東市(アンドンシ)は臨清閣復元事業に弾みを付けた。

固城李氏宗宅である臨清閣はもともと99間の大邸宅だったが、敷地の真ん中に鉄道が通ったため50間ほどが壊された。残った間も振動と騒音のため大きく損傷した。日帝が1942年2月に悪い朝鮮人という意味の「不逞鮮人」が住む家だとしてわざわざ路線を迂回させて鉄道を敷いてだ。臨清閣を横切る鉄道はソウル・清涼里(チョンリャンリ)駅と慶尚北道慶州(キョンジュ)駅を結ぶ中央線だ。鉄道ができる前には臨清閣の入口側には門屋と厩舎などがあった。

臨清閣が建てられたのは1519年だ。刑曹佐郎を務めた古城李氏の李ミョンが建てた。臨清閣周辺は映南山(ヨンナムサン)を背にして洛東江(ナクトンガン)が流れる典型的な背山臨水地形だ。ここから独立有功者が11人出た。李相竜の弟の李相東(イ・サンドン、1865~1951・愛族章)、李鳳羲(イ・ボンヒ、1868~1937・独立章)、息子の李濬衡(イ・ジュンヒョン、1875~1942・愛国章)、おいの李衡国(イ・ヒョングク、1883~1931・愛族章)、李運衡(イ・ウンヒョン、1892~1972・愛族章)、李光民(イ・グァンミン、1895~1945・独立章)、孫の李炳華(イ・ビョンファ、1906~52・独立章)、孫嫁のホ・ウン(1907~97、愛族章)、いとこの李承和(イ・スンファ、1876~1937・愛族章)、夫人の金宇洛(キム・ウラク、1854~1933・愛族章)だ。

中央線複線電化事業が完了し臨清閣は本格的な復元事業に入る。既存の線路が撤去されることを受け、16日午後7時36分に李相竜の宗家の子孫が乗った最後のムグンファ号列車が臨清閣前を通過したのを最後に列車の運行も終了した。17日正午には臨清閣の独立運動歴史を再確認する行事とともに臨清閣舎堂で告諭文を読み上げて臨清閣前の防音壁を撤去するパフォーマンスも行われた。

安東(アンドン)駅も90年ぶりに移転し、KTXにつながる新しい安東駅が開設された。文化財庁と慶尚北道、安東市は2025年までに280億ウォンをかけて臨清閣だけでなく周辺にあった李相竜の子孫の家屋まで復元する予定だ。

臨清閣前の鉄道が消え複線電化事業が終われば、中央線の丹陽(タニャン)~安東間は現在の86.7キロメートルから72.3キロメートルに14.4キロメートル短縮される。

慶尚北道のイ・チョルウ知事は、「独立運動の聖地だった臨清閣が鉄道移設と復元事業を契機に愛国愛族の象徴的空間に生まれ変わることにより国難克服の国民的意志を集める空間になるだろう」と述べた。

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