【コラム】韓半島平和プロセスが揺れる理由
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.25 13:47
1991年11月当時、ハーバード大ケネディスクール・ベルファー国際関係センターの所長を務めていたアシュトン・カーター氏は同僚と共に論文を出した。タイトルは「ソ連の核分裂:ソ連解体から核戦争力の統制」だった。ソ連が崩壊すれば、米国はカザフスタン・ウズベキスタン・ベラルーシに配備されたソ連の核兵器が乱用されないよう、これらの国を支援すべきだという政策代案が入った内容だった。ソ連は当時、解体直前の状況だった。
数日後、サム・ナン氏(民主党)、チャード・ルーガー氏(共和党)ら米上院議員がカーター氏を議員会合に招待した。カーター氏はこの席でソ連発の核拡散の可能性についてブリーフィングした。集中して聞いていたナン氏とルーガー氏はその9日後、協力的脅威削減計画(CTR)が入ったナン=ルーガー法案の草案を完成した。