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【時視各角】大韓航空・アシアナ航空と「電撃統一」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.19 10:39
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李明博(イ・ミョンバク)元大統領は統一は泥棒のようにやってくると話し、ある学者は雷のようにやってくるだろうと話した。最近の歴史は本当にそうだった。現代史に登場した分断国家統一はしっかり組まれた計画の成功ではなかった。突発的事態に近かった。

広く知られているようにドイツの統一には東ドイツ報道官の失言とメディアの「釣り」見出しが起爆剤になった。1989年11月9日、東ドイツ社会主義統一党宣伝秘書だったギュンター・シャボフスキーが東ドイツ住民の西ドイツ旅行許容方針に対する外信記者の質問を受けた。「いつから始まるか」という問いに、シャボフスキーは「おそらく、いま?」と答えた。東ドイツの計画は審査を経た選別的許可だったが、まともに説明できなかった。外信は「ベルリンの壁が開かれた」と報道した。隠喩的表現だった。すぐに自由往来が保障されるということではなかった。ところが東ベルリン住民が壁の前に殺到した。その日の夜に壁は崩壊した。統一は11カ月後に完成された。

 
南北に分かれたイエメンは90年5月にひとつになった。その半年前に南北首脳会談があった。その場で北側は国防・外交だけ統合する一種の連邦制統一案を提示したが、南側で突然に全面的統一を提案した。国の主要ポストを半分ずつ分け合うことが条件だった。北側指導者が尋ねた。南イエメンの人口は250万人、北イエメンの人口は1100万人だった。50%対50%は履行しがたい約束で、守られなかった。統一を電撃的に成功させたのは原油だった。80年代末に南北イエメン境界地帯で油田が見つかった。ソ連の援助がほとんど途絶えて最貧国状態にあった社会主義国の南イエメンは、油田の共同開発という北イエメンのニンジンをはね除けにくかった。

中央日報にコラムを書くジョン・エバラード元駐平壌英国大使は北朝鮮政権崩壊の可能性に何回も言及した。北朝鮮に新型コロナウイルスまたは他の感染症が拡散したり経済難がもっと深刻になり金氏一家の支持基盤が揺らげば一瞬にして崩れるかもしれないと話した。急変事態はいつでも現実になりかねないというのが彼の持論だ。

大韓航空のアシアナ買収は電撃統一を思い出させる。両社は善意の競争を超え敵対的な争いを行ったりもした。海外路線をめぐり高地占領作戦のような戦闘をするのが常だったし、相手を意識した赤字路線運航も出血覚悟で行った。2011年に激しい戦争のひとつを現場で目撃した。丙寅洋擾の際にフランスに流出した韓国外圭章閣(ウェギュジャンガク)図書の運搬をめぐる闘争だった。アシアナ航空はパリに貨物機を送ることはできない状況だったが、韓国政府へのロビー力を発揮して輸送権を獲得した。そのため外圭章閣図書は見苦しくも旅客機の下部貨物室に載せられて145年ぶりに帰国した。フランスに飛ばす貨物機を保有する大韓航空はあきれた結論に悔しさをにじませ、アシアナ航空は両国の空港で行事を行って勝利の口笛を吹いた。

「われらの願いは統一」と歌うが、統一はバラ色の未来を保障しない。それなりに準備していたドイツもふらついた。堅固な経済力が統合作業を後押ししなかったならばいまでも混乱が続いていたかも知れない。イエメンは統一後内戦に包まれた。南イエメンはイスラム武装勢力の巣窟になった。100万人を超える難民が発生した。その難民が済州島(チェジュド)にも来た。失敗した統一の結果はぞっとする。

大韓航空高位関係者は「趙源泰(チョ・ウォンテ)会長をはじめとする役員が16日に集まった。その場で『アシアナ航空が死ねばわれわれも死ぬ』という話が出た。買収したアシアナ航空が潰れれば大韓航空も生き残りは難しい。そうなれば結局ともに国有化の運命を迎えることになる。したがってアシアナ航空従業員が動揺せず安定的に働ける環境を作ることが重要だ」と話した。東ドイツの人が抱えた「2等国民」という不満が出てこないようにするという話だった。雷のように迫ってきたものだが統合の模範事例になるよう望む。大きく見れば遠からず国全体が体験するかも知れないことだ。

イ・サンオン/論説委員

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