115年前の日本の大韓帝国外交権剥奪が無効である理由
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.12 12:10
立冬が過ぎた。冬に入る時期だ。冷たい風に落ち葉が飛ばされる。落ちていく葉の痛みと残された枝の寂しさ。11月は一年の中で冬の入り口だ。同時に一時代の冬の入り口でもある。
大韓帝国の冬は11月に始まった。1905年11月18日0時ごろ、慶運宮の夜空は乙巳勒約の現場を見守った。日本の特使の伊藤博文は韓国政府に韓国外交権日本委託条約案を強要した。ついに衝撃的な勒約の話が広まった。
人心は怒った。五賊の処罰と勒約の取り消しを要求する上訴が続いた。皇城新聞11月20日の論説「是日也放声大哭」は抗日言論に火をつけた。論説は激しかった。「四千里の領土と五百年の宗社を他人に奉献し、二千万の民を他人の奴隷にする、犬豚にも劣る」韓国の大臣を糾弾した。「我々の二千万の奴隷になった同胞よ、生きているのか死んでしまったのか、檀紀以来四千年、国民の精神が一夜にして突然滅亡してしまったのか」と悲しんだ。論説は「痛哉、痛哉、同胞、同胞」と叫んで終わった。