【コラム】相次ぐ韓国若者たちの自殺…自殺なのか他殺なのか
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.12 11:23
最近、若者たちが極端な選択をしたというニュースを耳にするたびに暗澹とした気持ちになる。ところで韓国社会はこのように極端な選択をしたかわいそうな人々に薄情だ。責任も取れないような言葉をむやみに投げつける。「死ぬ勇気があれば生きることもできるのに、なぜ死ぬのか」から「嫌なことがあれば自殺するというのか」といいながら他人事のように話をする。さらには「自殺者は救われず地獄に落ちる」「祈ったところで無駄だから祈るな」という残忍な言葉もはばからない宗教家も少なくない。そのような言葉を耳にする遺族は家族を失った喪失感に加えて、さらに大きな傷を負う二重苦に陥る。
そこで紙面を借りて極端な選択に対して分析しようと思う。まず用語から再考しなければならない。自殺という用語に嫌悪感を覚えるとして「極端な選択」という言葉に変えたようだが、とても軽々しい。自殺は自分が自分を殺すことで、極端な選択も自分が選択したという意味だ。2種類の用語はともに死んだ人の問題であって、自分とは何の関連もないという意味が底辺にある。しかし、正確に言えば自殺というものはない。他殺があるだけだ。犯罪事件のようにある人が殺人を犯したのではなく、匿名の多数が自殺をほう助したということだ。その多数がすなわちわれわれだ。