<光復75周年-日帝強制動員、奪われた家族1>「父の棺には水だけがあふれていた」80歳の息子のサハリン悲劇(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.08.14 13:48
今年で光復(解放)75年。日帝の収奪に飢えた家族と故郷を後にして連行されるほかなかった日帝強占期の強制動員780万人。初々しく活力みなぎる20歳前後の朝鮮の若者たちは暗鬱だった韓国現代史の闇を通り過ぎながら、死ぬかけがをするか生きて帰ってきた。そして75年の歳月が流れた。やっとよちよち歩きを始めた1歳の息子が、母親のお腹の中で遺腹子として生まれて顔も知らない父親を描いて生きてきた娘が、今や白髪が目立つようになり歳を取り老いていく。
父親不在のまま生き抜かなければならなかった遺族の家族史75年。彼らはどのように生き、どのように生き残ったのか。乾いた涙の告白ではない。生涯会うことができなかった父親の空席を意識して生きなければならなかった彼らにとっては痛切な苦難、最後の最後に成し遂げた人間勝利の壮厳さが混在する。父親の遺体を遠く海外から迎え、遺族賠償運動に身を捧げて戦ってきたが老年にやってきたのは貧困だけで手元には何も残っていない。「慰安婦おばあさんにも娘はいます」と涙で絡まる回想もある。父親が倒れていった南洋諸島の広々とした海に花を手向ける彼らのしわだらけの横顔は私たちの歴史の鏡だ。