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【ナウ・イン・ジャパン】「保守」政経塾40年…岐路に立った松下幸之助の夢(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.04.27 13:53
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2011年12月、京都で会った李明博(イ・ミョンバク)大統領と野田佳彦首相が夕食会開始前に歓談している。野田首相は慰安婦問題において硬直した態度を示し、これは韓日関係悪化の一因にもなった。[中央フォト]
1993年の衆議院選挙で政経塾出身者15人が大量に当選した後、その株価が最高潮に達したのは「3年天下」で終わった民主党政権(2009年9月~2012年12月)時だった。鳩山内閣では卒塾生8人が閣僚職を一気に掌握した。引き続き「松下1期生」の野田佳彦が財務相を経て首相に上り詰めた。

しかしその全盛期は短かった。「悪夢」に匹敵するほどの民主党政権の失敗は政経塾のイメージまで失墜させた。候補者公募が増えて「松下人脈」のパワーも弱まった。政党と政治家たちの「政治学校」が雨後の筍のように増えたことも悪材料だった。

 
民主党政権が崩壊した2012年12月に衆議院選挙で丸山穂高(36歳、2012年卒業)が当選した後、政経塾出身で新たにバッジをつけた彼の後輩はいない。20人前後いた熟成の数は減り、2019年の選抜者はわずか2人だった。

政経塾が勢いを失ったことに対して別の角度からの分析もある。日本政治に明るい有力報道機関幹部は「過度に保守的な風土、出世指向的雰囲気が創意性と感受性、役割空間を自ら狭めてしまった側面がある」と説明した。

実際、政経塾出身は与野党を問わず極端な保守カラーを持つ人物が多い。民主党政権の最後の首相、野田佳彦氏は慰安婦問題での非妥協的態度、尖閣諸島国有化などで韓国や中国と鋭く対立した。そのため「米国が懸念するほどの保守的国家運営で(自民党でも最も右派である)安倍晋三の政権奪還を許した」(宮城大蔵『現代日本外交史』)とする厳しい評価もある。

卒塾生の中で最も若い丸山穂高氏は昨年、「竹島と北方領土を戦争で取り返すしかない」という妄言で日本社会を揺さぶった。

昨年9月、安倍内閣の法相として入閣したが政治資金スキャンダルで辞任した後、検察捜査を受け、政治生命が断たれる危機に処した河井克行氏も政経塾出身だ。

最近、日本を論争の渦に引き込んだ2人の問題児がともに政経塾卒塾生ということだ。この他にA級戦犯が合祀された靖国神社を頻繁に参拝する高市早苗総務相も政経塾出身だ。

政治士官学校としての地位が低下し、政経塾も変化を試みている。2018年に選抜された39期生の中には史上初めで韓国国籍の政治志望生が含まれた。毎日新聞によると、2020年からは4年制の他に2年制の短縮コースを開設し、社会的需要の変化により研修プログラムも調整した。硬直性と閉鎖性を克服しようとする政経塾の努力はどのような実を結ぶだろうか。松下幸之助の夢が40年ぶりに岐路に立っている。

【ナウ・イン・ジャパン】「保守」政経塾40年…岐路に立った松下幸之助の夢(1)

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