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【コラム】安倍氏の危機、「ナンバー2」菅氏と視線を合わせないところから始まった(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.03.16 15:34
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548。安倍政権ナンバー2である菅義偉官房長官(71)の地方区事務室車両の番号だ。自民党候補が秋風の落葉のように次々と落選していった2009年総選挙時、わずか548票差で生き残った菅氏が「選挙と民心の恐ろしさを記憶するため」と言ってわざわざこの番号にしたという。

東北の秋田県にあるイチゴ農家に生まれ、高校卒業後にこれといった計画もなく上京、段ボール工場とカレー店でのアルバイト、苦学で法政大法学部卒業、11年間の国会議員秘書官生活、横浜市議員を経て国会入り…。自分の力で執念の立身出世を果たしたストーリーで有名な菅氏は6日、官房長官として3000回目の記者会見を行った。2012年12月に安倍晋三首相の再執権と共に官房長官に任命されて7年3カ月で到達した前人未踏の大記録だ。菅氏は安倍政権の危機対策班長、欠陥担当班と呼ばれて「政治名門家出身のお坊ちゃん」安倍首相の足りない部分を補ってきた。

 
2015年韓日慰安婦合意過程では行き詰まった局面で突破口を開く水面下の解決者だった。昨年は新しい年号「令和」を発表して「令和おじさん」として人気を高めた。「ポスト安倍」次期首相候補群にも名前を入れた。安倍氏から確かな信頼を寄せられる内閣の核だった。

だが、岩のように盤石だった菅氏の地位が最近揺れている。「かつて国会予算委などで野党議員の質問に答える時、安倍氏は必ず菅氏とまず視線を合わせた後に答えたが、今年に入ってからは菅氏のほうを全く見ないようになった」。日本の週刊誌「週刊文春」は最近号で日本の政界にこのような話が出回っていると紹介した。安倍氏と菅氏の間にひびが入ったということだ。

首相官邸の事情に明るい日本消息筋は最近、中央日報の取材に対して「安倍氏と菅氏の関係については『修復不可能なほどこじれてしまった』『距離はできたものの、完全に終わったわけではない』という2つの見方がある。どちらにしても菅氏の地位が以前と比べ変化したのは明らかだ」と説明した。隙がないほど鉄壁だった2人の共助に「ひび」が入ったきっかけは、安倍首相が総裁3連任に成功した2018年9月の自民党総裁選挙戦を経ながらだった。「選挙戦前、安倍はどの派閥にも属していなかった菅氏に『派閥を作ってみてはどうか』と勧めた。無派閥議員を集めて選挙戦の時に自身を助けてほしいというのが安倍氏の意図だったが、菅氏が実際に派閥を作ったのは総裁選挙戦が終わった後だった。そのため安倍氏は『菅義偉官房長官が自分の政治をしようとしている』と考えるようになった」。日本有力紙の政治部幹部が中央日報紙に語った当時の状況だ。だが2人の関係は回復し、菅氏はその後も官房長官として重用されてきた。昨年7月の参議院選挙の後、安倍氏が断行した改閣では菅氏が推薦した人物が大勢入閣した。

【コラム】安倍氏の危機、「ナンバー2」菅氏と視線を合わせないところから始まった(2)

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    2020.03.16 15:34
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    2012年12月衆議院選挙運動当時、安倍首相がある選挙運動員の上着に短いコメントを残している様子。菅義偉官房長官が横で文字を書きやすいように服を支えている。[安倍首相フェイスブック]
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