韓日外交400余年前の主役、四溟大師の文とその魂(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.10.16 09:56
四溟の外交的な活躍はここで終わらない。戦後、日本と国交正常化を巡って朝廷が分裂している時、1604年対馬島主が使節を送ってきた。日本の新しい統治者になった幕府将軍・徳川家康の命だとしながら、講和に応じなければ再び戦争が起きるかもしれないという伝言だった。これを受けて、四溟に対して、対馬を訪問して真偽ほどを確かめてこいとの命が下った。
四溟は対馬に3カ月留まった後、同年11月、日本本国へ向かった。四溟は1605年2月と3月、2度にわたって伏見城で徳川に会ったとされている。この「伏見会談」を通じて「1.日本は朝鮮を再び侵略しない。2.相互和平の象徴として通信使を交換する。3.日本に連行された被虜人を送還する。4.戦乱の中に宣陵(ソンヌン)と貞陵(チョンヌン)を盗掘した犯人を朝鮮に引き渡す」などの協議事項が導出された。