【コラム】韓日葛藤は独断的民族主義のせい、普遍的理性が消えた(2)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2019.09.01 11:09
これが事実ならば、民族主義的な独断論を抜け出させるのは論理的説得や普遍的人間主義訴求力以上の措置が必要だと言える(すべての植民主義経験がそういう致命的傷を残すのではないだろう。オーストラリアの土着民政策は出生児を両親から隔離させるような特に苛酷な案を含んだ。意図は人間形成の文化的基礎から変えようということだったという)。
こうした苛酷な植民地体験に一致するものではなくても、植民地後世代の民族意識にはこれに似て単純な意識次元を超越する後成遺伝子的要因が染み込んでいるといえる。しかし普通の植民地体験または政治体験を後押しするのはもう少し意識の次元に作用する概念の力だ。韓国社会に広く広まっている考えに憤怒を培い社会正義を実現できるというものがある。こうしたすべての要素が政治の力になる。それは攻撃的な力でもあり、対抗的結束をもたらす力でもある。正常な状況で力は国だ。この力に民族が追加されれば、それはさらに強いものになる。いずれの場合でも国の権力は強力な力で、その力は人の暮らしをいろいろねじれさせる。今回見ることになった韓日対立がすぐに暮らしのさまざまな細部を変えたことからもそれを感知できる。それがやたらに人生の細部、極めて小さい次元ではそのニュアンスを変えておくという点で自由意志を抑制する力ということもできるが、人々がそういう力でも感じられることを望む。集団は個人にとって個人的実存の脆弱性を超えて行けるようにする。