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【噴水台】暴力について

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.19 14:20
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暴力(violence)は広範な概念だ。個人間の物理的な衝突から戦争のような国家的衝突、自由意志に反する行動を強要したり不利益を与え苦痛を感じさせることも暴力に属する。

暴力はよく人間の理性から逸脱するものや動物的なものとされがちだが、かつて巨大な暴力を経験した政治哲学者ハンナ・アーレント(1906~1975)は異なる見解を表明した。2度の世界大戦とジェノサイド(民族虐殺)を経験したアーレントは、権力は民主的な手続きを経た多重の意志であり、暴力はこれに反するものと分析している。暴力を行使する過程は常に外交的(あるいは対話的)解決方法を模索している中で最後の手段として選択するかのように見せかけるが、実際はそうではないというのがアーレントの主張だ。乱暴な言い方をすれば、最も合理的な方法で暴力を選択し、手段は常に目的を圧倒するが、その目的を達成する場合はほとんどないということだ。暴力は常に破壊的だからだ。

 
最近韓日の葛藤をめぐる論争を見て、誰もが極端で暴力的という考えが頭から離れない。「土着倭寇論」で極端な世論に便乗しようとするポピュリズムが見え、「政府責任論」では目の前の敵と戦うよりも内部批判に熱を上げる無神経が見える。

貿易戦争は戦争で暴力である。勝者と敗者は2つに分かれるしかない。極端な処方は別の暴力に過ぎず、決して勝利の答えになり得ない。アーレントは『暴力について(On violence)』でこう述べた。「法と秩序を回復するために暴力的な手段を提供する者と非暴力的改革を提供する者の間の論争は、患者の薬物治療に対抗し外科手術の相対的な利点を主張する医師たちの討論のように不吉に聞こえる。病状が深刻であるほど外科医が最後の処方を下す可能性が高い」。

イ・ドンヒョン/産業1チーム次長

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