주요 기사 바로가기

【社説】盧武鉉元大統領死去10周忌…もう一度考える「統合」と「実用」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.05.21 13:13
0
ジョージ・W・ブッシュ元米大統領が23日、烽下(ボンハ)村を表敬訪問する。盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領逝去10周忌の追悼式に参加するためだ。ブッシュ元大統領は直接描いた盧元大統領の肖像画を持ってきて権良淑(クォン・ヤンスク)夫人にプレゼントし、追悼の辞も述べる予定だ。両首脳は在任中に数回にわたって会談を行い、大きな外交懸案を扱った。韓米FTA(自由貿易協定)や韓国軍のイラク派兵などが代表的だ。そのようなブッシュ元大統領が盧元大統領の10周忌を迎えて追悼式に参加するのはさまざまな面で意味のあることだ。

ちょうど10周忌追悼式のテーマも「新しい盧武鉉」という。単なる追悼の感情を越えて考えるべき「盧武鉉の価値」を振り返りたいという趣旨だ。そのような側面で政界が第一に忘れてはならない彼の精神は「統合」だ。まだ大衆の脳裏に深く刻まれた「政治家の盧武鉉」の姿の中の一つが政治1番地「鍾路(チョンノ)」を捨てて「釜山(プサン)」に行って地域主義の壁に挑戦した姿だろう。盧元大統領がそのごろ地域主義の打破のために叫んでいた言葉が「東西〔嶺湖南(ヨンホナム)〕の和合」、すなわち国民統合だった。考えてみると、大統領在任中に提案した「大聯政」の構想も深刻な陣営葛藤を乗り越えるためにハンナラ党に権力を分けて協力政治をしようという意味だったから鍾路を捨てて釜山へ行く政治行為と本質は同じだ。憎しみと暴言が国民を分けている2019年5月の大韓民国に統合こそ最も切実な価値に違いない。

 
そうしたことから、今回の追悼式だけは5・18記念式での分裂を再演しないことを切実に望む。5・18記念式を挙げた理由は自由韓国党の黄教安(ファン・ギョアン)代表が光州(クァンジュ)に続き、再び烽下を訪れる予定であるためだ。盧元大統領は10年前、「生と死がすべて自然の一切れではないだろうか」と言いながら「誰も恨むな」と話した。遺書を通じて容赦と和解を呼びかけたことに違いない。統合の前提とは何か。それは容赦と和解だ。容赦と和解のない統合はない。ぜひブッシュ元大統領の前で追悼客が成熟した姿を見せることを期待する。もちろん、黄代表や韓国党も烽下村行きが政治目的という印象を与えないように発言を自制し、追悼の真正性を持つべきだ。

盧元大統領死去10周忌を迎え、第二に注目すべき価値は「実用」だと考える。盧元大統領は進歩政治家としてのアイデンティティは明確にしたが、国政分野に限っては違った。特に、経済と外交問題では理念より国益を優先した。ブッシュ元大統領と共同で推進した韓米FTA、イラク派兵の決定などは支持層といえる労組と進歩市民団体が強力に反対したが、国益を考えて正面突破した代表的事例だ。済州(チェジュ)海軍基地も支持層の反対の中で果敢に決断した。

彼の実用主義的な姿を見せるもう一つの事例が対日外交だ。対日外交といえば、ほとんど独島(ドクト、日本名・竹島)問題に断固とした立場を取っていた彼の演説を思い浮かぶが、実際には徹底した実利外交だった。彼は小泉純一郎元首相と「シャトル外交」を成功させ、一度は自身が日本の最南端鹿児島県指宿市にまで飛んで行って北核問題を協議した。また一度は小泉元首相が済州(チェジュ)を訪ねて懸案を話し合った。水面上や水面下でも行き詰まっている今の状況とは違った。

もちろん、支持層の反発を押し切ることで払わざるを得なかった政治的費用は大きかった。ずっと保守・進歩両側から挟み撃ちされていたため、いつかは自身を指して「左派新自由主義者」と表現したこともある。自嘲まじりの表現だった。だが「左派新自由主義者」という言葉がもう自嘲になってはならない。支持層と理念の壁を正面突破できていない文在寅(ムン・ジェイン)政府が死去10周忌に最も肝に銘じるべき言葉なのかもしれない。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP