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【時視各角】まだ2%足りない「疎通政府」の疎通=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.01.11 15:48
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文在寅(ムン・ジェイン)大統領の昨日の新年記者会見は2%足りない場面がまた演出されてしまった。従来の主張の反復はそうだとしても、聞きたいことだけ聞いて、見せたいものだけ見せる政治イベントになってしまったためだ。経済状況は悪化の一途で外部環境はますますドン詰まる薄氷板の大韓民国だ。不安な国民を励ます希望のメッセージと理念過剰政策を正すという省察に対する注文が多かった。だが、見かけのレトリックとは違い、実際の内容は従来の政策を継続するという内容だった。結局、過去の会見のように脚本のない破格な形式のほうにより多くの関心が集まった。

会見場にキム・ミンギの歌が流れるなどの感性要素は相変わらずだった。だが、回答の具体性の面では事前に調整された質疑応答よりも後退してしまった。もちろん、大統領が自ら会見を取り仕切りながら飾り気なく記者と対面するのは一歩進んだ疎通方式だ。それでも脚本通りの会見ではないといったのは、大統領の率直かつ虚心坦壊な所感と国政認識を期待するという意だ。ところが質問と返事は概して空回りし、共感しにくい自画自賛式の主張まで重なり、疎通よりも「疎通する姿」に重点を置いたという感じを持たせた。「過去には権言癒着(政権と言論の癒着)があったが、現政府はジャーナリストの人材を迎えた」という意味不明な言葉まで出てきた。

 
就任100日記者会見や国民に向けた報告会の時の「感性アプローチ」イベントではそれでも誓いのようなものが多かった。文大統領は当時、「国会を尊重して野党と疎通し、国政パートナーとして共に仕事をしていきたい」「企業環境を改善する」と約束して拍手を受けた。もちろんその時だけではあった。一時同じ青瓦台(チョンワデ、大統領府)で仕事をした自由韓国党の金秉準(キム・ビョンジュン)非常対策委員長とは今まで会いさえしていない。小商工人や企業の訴えには「マクロ経済が底堅い」「経済は良いのにメディアがゆがめている」という発言が返ってきた。ところが今度はその時の原則的で原論的な言及さえ出てこなかった。

形式は疎通だが、内容は一方通行の記者会見で、文大統領は代わりに疎通強化を取り上げた。いまさらのことではあるが、至極当然の言葉だ。前政権国政壟断の背景には疎通不在の権力があった。疎通しようというのなら、米国のように月2、3回の定例的な記者会見は無理にしても1カ月に1回くらいは国民と向き合うべきだ。ドナルド・トランプ米国大統領はともすると記者と言い争いをしながら舌禍を招いているが、それでもほぼ毎日のように取材陣の前に立っている。ところが文政府は執権してまだ2年も経たず、大統領と対話する機会が年に1、2回あるかどうかの「行事」になった。

記者会見だけではない。疎通しようというのなら誠意を込めなければならない。疎通は双方向だ。「そう思っていただければいいです」は疎通ではない。文大統領は初めての青瓦台(チョンワデ、大統領府)会議で「参謀の異見提示は義務」と疎通を強調した。だが、実際に異見を出したという参謀は聞いたことがない。文政府が誤りを伝える内部批判にどれくらい聞く耳を持っていたかどうかは、キム・テウ前捜査官、シン・ジェミン前事務官事件を見れば分かる。疎通会見にしようと思うのなら、民情首席をめぐる疑惑に遺憾表明でも出すべきだった。だが「現政権権力機関で国民を失望させたことはただの一件も起きなかった」と釘をさした。

考えの異なる人々が多いため難しいのが政治だ。少数の考えを多数にしていくのは大変な作業だ。それも説得と妥協で共感を作らなければならないから難しい。それでもそのような道に進むんだと、疎通大統領、疎通政府を自任した。歴史で一番まねたいリーダーシップの人物として世宗大王(セジョンデワン)を挙げて「国民と目を合わせる大統領になる」と誓った。身内の人、自分のやり方だけ正しいという意地だけでは先には進んでいけない道だ。感性的アプローチでどうにかできるものでもない。疎通政府に疎通を注文しなければならないアイロニーはいつまで続くべきなのか。

チェ・サンヨン/論説委員

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