【コラム】ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.08 15:37
◆ロシア軍を撃破した朝鮮鳥銃部隊
努力は実を結んだ。壬辰倭乱末の1597年1月、判中枢府事の尹斗寿(ユン・ドゥス)が鳥銃を製造できる投降倭人をソウルに呼んで鳥銃を製作させようと建議すると、宣祖は「我々の職人もうまく作ることができる」として受け入れなかった。国内の製作技術がそれなりのレベルになっていたことが分かる。
朝鮮の鳥銃開発が結果に結びついたのは半世紀ほど過ぎた羅禅征伐だ。清はアムール川一帯まで進出したロシア軍隊と衝突したが、戦力で劣勢になると、朝鮮に鳥銃部隊の派兵を要請した。