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<平昌五輪>フィギュア伝説ミシェル・クワン「キム・ヨナが登場した開会式、完ぺきだった」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.14 15:27
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平昌五輪最終聖火点火者として登場したキム・ヨナ。
「あ、私の友人のヨナだわ!」

フィギュアスケートの伝説ミシェル・クワン(38、米国)は平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)開会式をテレビで見守りながらこのように感嘆の声をあげた。聖火最終ランナーとして登場した「フィギュア女王」キム・ヨナを見て込み上げるうれしさを抑えることができなかったという。

 
中国系米国人ミシェル・クワンは韓国ファンにも非常になじみのある選手だ。1990年代中盤から2000年代までミシェル・クワンはフィギュアスケートの代名詞だった。ミシェル・クワンはキム・ヨナのロールモデルであり、懇意な友人でもある。クワンは平昌五輪を見守るために開会式当日の9日、母親とともに韓国を訪れた。国際オリンピック委員会(IOC)公式パートナーであるP&Gがクワンを招待した。13日、江原道平昌(カンウォンド・ピョンチャン)の龍坪(ヨンピョン)リゾートでクワンに会った。

クワンは開会式を見守った後、自身のSNSに「本当に美しい」という感想を残した。クワンは「ヨナがいつ出てくるのかそわそわしながら開会式を見ていた。一番最後にヨナが滑りながら登場し、最終点火する様子を見た。完ぺきだった」と話した。

クワンは韓国で開かれたアイスショーにも何回も参加した。韓国を訪れたことがとても多くので一つ一つ数え上げるのが難しいほどだと言った。クワンは「最後に韓国を訪れたのは2013年スペシャルオリンピックの時だった。当時、ヨナと一緒に演技をした」と話した。

クアンは女子フィギュアスケートの歴史を輝かせた伝説だ。旧採点制度で満点である6.0点を57回も受け、各種大会で43回も優勝した。世界選手権でも5回の優勝に輝いた。しかし、唯一オリンピックとは縁遠かった。

1998年長野五輪では銀メダル、2002年ソルトレイクシティ大会では銅メダルだった。しなやかで優雅なクワンの演技を見た多くのスケーターは彼女を憧れとした。キム・ヨナもその1人だった。

クワンはキム・ヨナを初めて会った時を鮮明に思い出すことができると言った。大会参加中に偶然にトイレでキム・ヨナと会い、笑顔を向けた。クワンは「ヨナは努力して韓国のスーパースターになった。

私たちはすぐに友人になった。ヨナは下の世代にインスピレーションを与えることができる存在だった」とした。

2014年ソチ五輪当時、キム・ヨナは判定論争の中に銀メダルを獲得した。クワンは当時「信じられない」と話して話題になった。クワンは「彼女の演技を見て興奮を隠せなかった。ショートプログラムが終わった後には本当に感動して泣いた。金メダルに向けてヨナがどれほど辛いトレーニングをしてきたか分かった。ヨナが本当に誇らしかった」とし「金メダルが取れず残念だったが、スポーツで重要なのは自身がどれほどうまくやれるかだ。ヨナは自身の技量を1000%発揮した」と述べた。

クワンは「もう一度オリンピックに出場できたらよかったが、そうなれば期待のためプレッシャーが相当なものになったに違いない。後輩に良いロールモデルになり、後輩もヨナのようなロールモデルがいるということが幸運だ」と述べた。

2008年に引退してからクワンは国際関係学を専攻した。そして米国国務省長官から初めての公共外交使節に任命され、世界各国を回って講義をした。クワンは「学校に戻った後、自分の経験を生かして国際関係に携わる仕事をしたいと考えた。ヨナもスポーツ外交と関連したことをやりたいと話していたことがある」とし「スポーツの力は世界各国を1カ所に集めて互いを友とすることができるということだ。平昌でも92カ国が一つになったことを感じることができた」と語った。クワンは「ヨナのおかげで韓国で立派な選手たちがたくさん育っている。今回、チェ・ダビンの演技を見たが本当に美しかった」と話した。

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