【時視各角】駐韓米大使変わったことも知らない韓国政府(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.02 10:11
盧泰愚(ノ・テウ)政権の時、犯罪との戦争の先鋒に立っていた盧在鳳(ノ・ジェボン)首相は優柔不断なところは一切ない硬骨の士だった。政権が変わると「金泳三政権の得体がしれない」と言って、執権民自党の全国区議員職から退いた所信派だった。だが、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の盧信永(ノ・シニョン)首相は違った。「外務部は私の人生そのものだった」という信義に厚い外交官だ。「権威的指導者の猪突的で無謀な指示にも忠実に従うが、衝撃を和らげることに努めた」というのが当時駐韓米大使だったリチャード・ウォーカー氏の評価だ。
2人の盧首相はともに、第5共和国と第6共和国の看板首相だった。もし2人が強い指導者の全斗煥、耳が大きかった盧泰愚大統領を取り替えて仕えていたら結果は大いに違っていただろう。政治学ではこのような状況適合性を確かめる研究をコンティンジェンシー(contingency)理論という。どんな場合にも適用される成功の一般方程式ではなく、環境条件に合う最適化を探ろうとする努力だ。スタイルの異なる2人がともに名宰相と言われたのは、統治者との相性が良かったからだ。