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「米、プエブロ号事件当時に北朝鮮に70キロトンの核爆弾投下を検討」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.01.22 13:56
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米国が北朝鮮に対する核攻撃まで検討したプエブロ号事件(1968年1月23日)が23日で50周年を迎える。

この事件は「金新朝(キム・シンジョ)事件」と呼ばれる北朝鮮武装共産軍の青瓦台(チョンワデ、大統領府)襲撃事件(68年1月21日)が起きて2日後に発生した。

北朝鮮が相次ぎ超大型軍事挑発に踏み切ることで当時韓半島(朝鮮半島)は一触即発の危機に置かれていた。

CNNは「(事件が発生した)68年は平壌(ピョンヤン)やソウル、ワシントンの間にいかなる対話も遮断されるほど緊張が極に達した」とし「さまざまな秘密文書を見ると、韓半島でもう一度戦争(第2次韓国戦争)が起きる可能性があった時期」と21日、報じた。

また、「金日成(キム・イルソン)主席が夢見ていた核兵器を北朝鮮が保有し、ワシントンで北朝鮮に対

する先制攻撃の可能性まで取り上げられる今日の状況がさらに危険だ」と評価した。

プエブロ号事件は米海軍歴史上、最大の恥辱事件に選ばれる。情報収集艦であるプエブロ号は同年1月11日、長崎県佐世保港を出港して普段のように公海上で対北朝鮮盗聴作戦を行っていた。

そうしている間に北朝鮮魚雷艇から攻撃を受けて拿捕された。交戦中に1人が死亡し、82人がスパイ容疑で監禁された。当時逮捕された料理兵ストゥー・ラッセル氏は「北朝鮮はネズミと蚤がいっぱい集まっているところに私たちを閉じ込め、水もまともに与えなかった」として「尋問の過程で拷問を加え、スパイだと自白させた」とCNNに話した。

米国は状況が非常に深刻だと見た。2014年公開された米国防総省の機密文書によると、核攻撃シナリオまで検討された。拿捕4カ月ぶりの同年5月、ユリシーズ・シャープ当時太平洋地区総司令官が作成した報告書だった。

「自由の投下(Freedom Drop)」というタイトルで最大70キロトン(1キロトンはTNT1000トンの爆発力)の爆発力を持つ核爆弾をB-52爆撃機を利用して投下するという内容だった。

第2次世界大戦末、米軍が長崎に落とした核爆弾(21キロトン)の3倍以上の破壊力だった。シナリオには核攻撃と同時に戦闘機と地上軍を投じて北朝鮮軍を打撃するという内容もあった。全面戦争も辞さないという意味だった。

同年2月2日から板門店(パンムンジョム)で始まった米朝交渉が行き詰まると、米軍は核攻撃を含む12種類の軍事オプションを準備した。しかし、リンドン・ジョンソン元大統領は直接攻撃を拒否し、海軍艦艇と戦闘機出撃など軍事的圧力だけ承認した。その後、米軍は原子力空母であるエンタープライズ(CVN-65)を含む計3隻の空母を韓半島(朝鮮半島)近隣の海域に集結させ、数百台の戦闘機を出撃させた。

米国は76年8月発生した板門店ポプラ事件の時にも似たような方法を取った。核攻撃が可能なF-111戦闘機20機とB-52爆撃機3機を韓半島に急派し、空母ミッドウェイ(CV-41)など5隻の艦隊を東海に移動させた。一部ではドナルド・トランプ政府も先例に従っていると見ている。

米軍は昨年11月、トランプ大統領の初のアジア歴訪を控え、原子力空母3隻を東海に集結させるなどここへ来て北朝鮮を軍事的に大きな圧力をかけている。また、米政府が来月発表する予定の「核態勢検討報告書〔核戦略体制の見直し(NPR)〕」には北朝鮮など危険国家に対する核攻撃をさらに簡単にする内容が含まれていると伝えられた。

結局、米国は68年12月北朝鮮側の要求(スパイ容疑認定、公式謝罪)を聞き入れる代価でプエブロ号の将兵を帰還させた。しかし、プエブロ号は50年間帰還されていない。

北朝鮮は勝利の記念品であるプエブロ号を宣伝の道具に使っている。当初、大同江(テドンガン)に展示して2013年に祖国解放戦争勝利記念館が位置した普通江(ポトンガン)区域に移して展示中だ。

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