주요 기사 바로가기

【コラム】拒絶の外交ドラマ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.01.05 13:36
0
国際政治は筋肉質に変わった。強大国のストロングマンたちが引き起こした現象だ。次期米国大統領ドナルド・トランプは現状打破に出た。彼は「一つの中国」原則を揺さぶる。中国主席の習近平による新年メッセージは毅然さだ。彼は国益の断固たる守護を誓った。日本首相・安倍の決意は強い国づくりだ。ロシア大統領のウラジーミル・プーチンのマッチョイズムは進化する。

ストロングマンたちの総合舞台は北東アジアだ。舞台の装飾は予測の破壊と突出、変則だ。韓国外交は試練の時だ。歴史経験に解決法の知恵がある。世界外交のドラマは突破の想像力を提供してくれる。

 
フランスの国境都市アンダイエ(Hendaye)--。スペインと国境を接する大西洋側の小さなリゾート地だ。スペイン「サンティアゴ巡礼路」北ルートの出発地だ。ここで20世紀外交における劇的な場面が演出された。1940年10月23日、アンダイエ駅で鉄拳独裁者たちが顔を合わせた。ナチス・ドイツ総統のアドルフ・ヒトラーとスペイン総統のフランシスコ・フランコだ。同年6月、ヒトラーはフランスを占領した。次の野望は英国の征服。これに向けてスペインを戦争に引き込もうとした。それがこの会談の理由だった。

フランコはヒトラーに大きな借りがあった。スペイン内戦(1936~1939.3)でフランコは勝った。この勝利はヒトラーの援助のおかげだった。だが、フランコは冷酷な本能を鍛えた。彼は第2次世界大戦に参戦しないことを決めていた。フランコは一時間遅く到着した。それは意図的な無礼だった。巧妙な心理戦だった。ヒトラーは不快感を隠した。2人はプラットホームを歩いた。閲兵式も行った。ヒトラーは威圧と懐柔で参戦を要求した。だが、次第に追及するそぶりを見せるようになった。フランコの交渉術は絶妙だった。「拒絶という表現は絶対に使わない。その代わりに聞き入れるのが難しい条件と代価を逆提案する」--。

フランコは途方もない武器・食糧支援を要求した。彼はヒトラーを褒めそやしたが冷笑も流した。会談は北アフリカのフランス植民地問題で複雑にこじれた。フランコはその地をスペインに譲渡してほしいといった。ヒトラーがとうてい飲むことのできない条件だった。フランスは滅びたがフィリップ・ペタンのヴィシー傀儡政府が存在していた。翌日のヒトラーの日程はペタンとの会談だった。ナチスとヴィシー政府の協力が用意されていた。

会談は7時間の末、終わった。フランコはヒトラーを満足させなかった。彼は悔しさを爆発させた。「フランコに会うよりは歯を2、3本抜くほうがましだ」(ポール・ジョンソン著『Modern Times』)。ヒトラーは41年6月、ソ連を侵攻する。フランコは初期に兵力4000人を派遣した。だが、正式な軍隊ではなく義勇軍という形だった。彼は最後まで中立を維持した。政治的虚栄に代わる実利の姿勢だ。


【コラム】拒絶の外交ドラマ=韓国(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP